連載 まだまだ花咲きまっせ おせいさん、介護街道爆進中 第3回 おしっこが出ない

俣木聖子
一九四四年生まれ。大阪府堺市在住。二〇〇〇年に夫の泰三氏が介護支援事業会社「シャローム」を創業したことを機に、その運営に携わる。現在は同社副会長。

 

おせいさんの夫、シャローム社の会長が、会議中に意識を数十秒失った。その日も会長のビジョンをど迫力で話していたのに、言葉が急に止まった。
その場に八人ほどのスタッフがいた。しかし、誰も会長が意識をなくしたとは気づかなかった。
疲れて、居眠りをしてるんかいな? おせいさんはそう思った。そんな呑気なものではなかったのだ。
「しんどいから、医者に行く」突然、夫が言った。スタッフたちはびっくりした。
近くの総合病院に行った。
「即刻入院してください」医者が急ぐ口調で言った。
「命がかかってますか?」夫が先生に聞いた。
「かかってます。心筋梗塞を起こしてます。すぐ手術をしなければ……しかし、何のおかげか、よく意識が戻られた」
「神様のおかげです」夫が言った。止まった血流が流れたのだ。
ステントを二か所に入れた。医学は進んだもんだね。ステントのおかげで狭くなっていた血管が広げられたのだ。
それからは毎年ステントを入れた。
二〇一八年。心臓の負荷を検査するためにランニングマシンに乗った。スピードが出すぎて夫は転倒した。思い切り腰を打ったらしいが、痛みをこらえて、立って歩いた。
しかし、そのあとから、壮絶な痛みの日々だった。
「一度お医者さんに診てもらったら?」おせいさんが勧めた。
やっと受診した。骨折もしてないし、ひびもはいってないとの、医者の言葉だった。近所ではよく流行っている医院だ。しかし、夫に関してはいい医者とは言えなかった。
転倒してから、三か月経過した。心臓の検診の日が来た。車椅子で行った。
「転倒して歩けなくなられたのですか?」医者が尋ねた。
「そうなんです」夫が痛みをこらえながら言った。
「それは、申し訳ないです」医者が頭を下げた。
「いいえ、先生が謝ることはないですよ」優しく夫が言った。おせいさんは、痛みを何とかしてあげてよと、内心叫んでいた。
そこの整形外科を受診した。
「残念ですね。転倒された時にすぐ来ていたら、足の麻痺は治った可能性がありました。しかし、今は、麻痺の回復は無理でしょう。転倒して二か月以内が麻痺の回復の限度ですからね。奥さん、この痛みは割れたガラスのコップの先が神経に刺さっているような痛みですよ。痛みは取れます」
残念というドクターの言葉に、おせいさんの心はナイフでえぐられた気がした。
痛みを取り除く手術となった。手術当日、四時間くらいかかりますと、説明があった。
おせいさんは病室で祈っていた。五時間過ぎても終わらない。心配で病室の外で待っていた。
「手術、長引いてますね。手術室から何も連絡がないから、大丈夫ですよ」とナースさんがおせいさんの肩をそっと撫でた。ナースさんの思いやりが嬉しかった。
七時間の手術だった。顔を伏せた姿勢で手術をしたから、アンパンマンのような顔で帰ってきた。男前だいなしだ。
それからが超大変だった。おしっこが出ない。お腹も膨らんでいる。手術後の起きるだけでも痛いなか、何度もトイレに行く。
「何とか、おしっこが出る方法はないんですか?」とおせいさんは、必死で頼む。しかし、まだナースになって数か月という夜勤のナースは、明後日ドクターが来てからと言うだけだ。夜中、何度も何度も便器の前に立つが出ない。
「待て〜ど暮らせ〜ど、出ぬしっこよ。宵待草のやるせえな〜さよ」夫がいい声で、便器の前に立って歌っていた。
おせいさんは、大笑いした。こんな、しんどい時になんというユーモアか。
シャロームのナースが、導尿のことを教えてくれた。
導尿が始まった。泌尿科も受診した。一過性の尿閉だった。薬を四日間飲んだ。
夫が便器の前に立った。おせいさんは後ろでじっと見つめていた。
「出そうや」おしっこが出た。自力で出せた。おせいさんの拍手が涙でぬれた。
夫の右足は麻痺したままだ。
「左足がしっかりしているから、歩ける。感謝や。当たり前と思っていることに神様のみわざがある。当たり前なんてないんや」感慨深い夫の言葉だ。