特集 困難の中でイースターを祝う 「いのちの現場」から 暗いからこそ、小さな星に気づく

めぐみ在宅クリニック 院長 小澤竹俊

 

苦しみの意味
なぜ人は苦しむのでしょう? いのちに関わる医師として、いつも問いかけてきた難題です。まじめに働いてきた人が、人生半ばで末期がんと診断されることがあります。小さな子どもを残して逝かないといけない人がいます。今までの人生で共に暮らしてきた大切な家族と別れる悲しみや、不条理な思いから、怒りをぶつけられることがあります。
「病気が治らないのは、先生、あなたがいけない。」「痛いのはいやですが、痛み止めは使わないでください。」「もう苦しいのはいやですから、早く楽に死なせてください。もう終わりにしたいのです。」
なぜ人は苦しまないといけないのかと神に問うても、神は沈黙を守ったまま、見捨てられた想いになることがありました。
医師として、いのちが限られた人と関わって三十年が経とうとしています。苦しむ人と向き合いながら、私に何ができるのか問い続けてきました。力になりたいと思えば思うほど、力になれない自分の無力感にさいなまれることもありました。もしかすると、私はこの仕事に向いていないのではないかと思うこともありました。
苦しくてこれから先が見えないとき、振り返ることがあります。今まで自分が歩いてきた人生を振り返るとき、それまで気づかなかった様々なことが見えてきます。

都会では観えなかった星
私は高校時代に天文部に所属していました。私が通う高校は横浜にあり、夜空はネオンで明るいので、観察できる星の数はわずかです。そこで、星を観察するために長野県の山の上に行くことがありました。横浜の夜空と異なり、山の上の夜空は真っ暗になります。すると、横浜では観ることができない暗い星まで観ることができるのです。
あまりの星の多さに、心が震えたことを今でも覚えています。暗いからこそ、小さな星に気づくことができます。
絶望の暗闇だからこそ
人間も同じです。人生が順調なとき、すべてがうまくいっているときには、自分の周囲に大切な何かがあることに、気づける人は多くはありません。あたりまえの大切さを知らずに生きています。
ところが、人生につまずいたり、大きな困難にぶつかったりするとき、あたりまえのことが輝いて見えてきます。そばに家族がいるだけで安心すること、何気ない友人の一言が温かいこと、道ばたに咲いている花がものすごく美しいこと、聴き逃していた音楽に涙が止まらなくなること。そして、どれほど弱い私であったとしても、自分の存在を認めてくれる神の存在があること。
私たち一人一人の中に、神が臨在しています。それを私たちは気づかないだけです。インマヌエル・神が我らと共におられる(イザヤ8・10)は、絶望の暗闇だからこそ、光り輝く希望となります。
たとえ文明が発達して便利な時代になったとしても、目に見えるものだけにとらわれていれば、苦しみと向き合うことはできません。苦しい時代だからこそ、目に見えないものが際だって大切になります。復活したイエスは、私たちの心の中に今も生きているのです。

関連書籍

『死を意識して生きる希望』
樋野興夫 小澤竹俊 対談
B6変型判 112頁 定価1,320円(税込)

病理学者であり、全国で「がんカフェ」を展開し患者の苦悩を和らげる活動を行う樋野医師。終末期の在宅医療を行うかたわら、ホスピスマインドを生かして未来の人材を育てる活動を行う小澤医師。死を起点に人生を考える。

 


『消え去らない疑問
悲劇の地で、神はどうして…』
フィリップ・ヤンシー著 山下章子訳
四六判 192頁 定価1,760円(税込)

東日本大震災、サラエボ紛争、コネティカット州のサンディフック小学校での銃乱射事件。悲劇にあった三つの地を取材し、著者が生涯のテーマとしてきた「痛むとき神はどこにいるのか」という疑問に再び向き合う。