特集 日々、聖書を読み、神に近づく

『わたしは決してあなたをひとりにしない』(いのちのことば社)など、ディボーションのための書を数多く著したサラ・ヤングさんが長い闘病の末、天の御国の門をくぐりました。今特集では、サラさんをおぼえつつ、毎日聖書を読み、神のことばに耳を傾けることの大切さを再確認します。

 

神を発見するために書き、祈り続けた母サラ・ヤング
サラ・ヤング氏 長女 ステファニー・ヴァンダー・ウエスツイゼン

母は四人兄弟の二番目の子どもとして一九四六年に誕生しました。母のイエス様へのすばらしい信仰は皆に知られていますが、信仰を持ったのは大人になってからでした。
クリスチャンとなり、米国のカベナント神学校で学び、カウンセリングと聖書学の修士号を取得しました。またそこで、宣教師の息子として日本で育ったスティーブ・ヤングと出会いました。一九七七年に結婚し、日本で宣教師となったのです。一九七九年に私が東京で生まれました。
日本では、日本語学校で日本語と格闘し、夫の働きを助け、二人の子を育てていました。クリスチャンになったばかり、そして母親になったばかりで、知らない国での宣教の働きは大変だったと思います。この困難に加え、学んできたカウンセリングを使う機会がないということから、両親は宣教師としての働きを別の国に移すことにしました。
そして、一九八九年にアトランタに一時滞在し、母はジョージア州立大学に通い、カウンセリングの修士をとり、スキルを身につけていきました。
一九九〇年には、オーストラリアのメルボルンに赴きました。両親は日本語教会を開拓し、カウンセリングの働きも始めました。それは想像以上に霊的な戦いでした。クライアントの多くは霊的、性的虐待を受けてきた女性だったからです。この女性たちの癒やしのため、母が注いだ情熱と努力は相当なものでした。この頃から、日記の書き方をモノローグからダイアローグにしています。ダイアローグ(自分の視点をまず書き、それから神様の視点に書き直す)にしたことで、母自身も励まされ、力を与えられました。今までにないほど神の臨在を体験し始めたのです。頭で理解していた神を心で理解できるようになったのです。
メルボルンでの八年間、母は自分の日記を必要な人に分かち合っていました。特に、母の母エリザベスは夫が急逝し、母の日記が悲しみのなかで励ましとなりました。今でも覚えています。母が最初に書いた三百六十五日の日記を印刷して祖母に渡すように言われた時のことを。
当時、家族の誰もがそれがベストセラーになるとは思っておらず、私もその時、まだ印刷したてのプリントを祖母に渡しながら、神様はこれをどのように用いられるのだろうかと考えていただけでした。祖母は一九九九年に召されるまで、日記を書き続けるように母を励まし続けました。祖母や友人からの励ましによって、母は書き続け、出版する用意ができました。
二〇〇一年には、パースに引っ越し、二つ目の日本語教会をスタートすることになりました。しかし、引っ越してすぐ、母は細菌の病であるライム病と診断され、ほとんど家にいることになりました。そんな中でも新しい教会を助け、カウンセリングを続けていました。大変な状態に追い打ちをかけたのは、出版されなかった原稿が出版社から戻って来たことでした。
しかし、本の出版をあきらめかけていた二〇〇三年の終わりごろ、インテグリティ社から本を出版したいという知らせが届きました。母の原稿がナッシュビルで読まれ、最終的にその原稿が編集者の妻に渡ったのです。
この最初の出版以来、母は、何部販売されるかではなく、多くの読者が本を通して神にさらに近いものとされるようにと祈ってきました。時が経つにつれ、母の容態は悪化し、宣教の働きも、カウンセリングもできなくなっていきました。そんな中、神様は彼女に新しいミニストリーを与えられました。それは執筆を継続すること、また読者のための祈りに時間を費やすことでした。母は、読者や友人、また家族のために祈る祈りの戦士でした。
母は何度も治療をしましたが、結果は失望しかありませんでした。七十歳の時には骨髄異形成症候群(MDS)と呼ばれる骨の癌に罹患しました。ジェットコースターのように希望と失望を繰り返す旅路が亡くなるまで二十二年間続きました。しかし、母は決して信仰を失うことも、神の愛を疑うこともありませんでした。そしてその長年の苦しみと肉体的な不調が、苦難を経験している人々に語りかけるような文章を書くことを可能にしたのです。
長年にわたり、私は多くの人から質問されました。なぜ、あなたの母親は神様から直接語られるという特別な賜物を持っているのですか、と。私は、母のこの特別な賜物はだれでも持っているものですよ、と答えます。私たちは、大変な状況にいるとき、神様に質問します。「この状況をどうしたらいいでしょうか」「この状況を通して神様は何を教えようとしているのですか」と。母も同じことをしたのです。母は特に祈りに時間を多く割き、聖書を深く学び、多くのみことばを暗記して、神様の導きを求めていました。
母が他の人と異なることを挙げるならば、書くという賜物があったことです。困難を覚えた時に学んだことを、美しく高揚感のある言葉で綴り、神の真理を読者に伝えたのです。母の本は預言書ではありません。永遠に続くものでもありません。また、聖書に取って代わるものでもありません。この点を母はいつも明確にしていました。母の本が、多くの人にとって神を求める出発点となり、彼らが聖書の神様を発見することを母は祈っていました。そして多くの人が、読後クリスチャンとなったと聞いています。イエス様との関係はどれほど美しく、魅力的であるかを母は示しました。それまで神様のすばらしさを知らなかった人々に甘い香りを放った人でした。
お母さん、生涯をかけて神様のすばらしさを教えてくれてありがとう。