書評books 「平和を造るために、私は何をすべきであろうか」との問い

ビサイドチャーチ東京 牧師 安海和宣


『非暴力による平和創造 ウクライナ侵攻と日本国憲法』
木村公一 著

四六判
1,210円(税込)
いのちのことば社

 

暴力が満ちる世界に、私たちはいま生きている。ロシア・ウクライナ戦争が長期化し、イスラエルとハマスとの戦闘が始まり、世界各地で紛争が絶えない。わが国では五年間で四十二兆円の税金を戦争の準備のために使おうとし、国民の意識を戦争モードで支配しようとしている。このような中にあって、「非暴力による平和創造」がいかに大事かを本書は検証し訴えている。
著者の木村公一師は、インドネシア、米国、日本の大学・大学院で教鞭をとってこられた理論派だ。同時に、調査研究のためのみならず、平和のためにジャワやバグダッド、ウクライナに赴く行動派でもある。理論に基づく行動、行動に裏打ちされた理論は、ただならぬ説得力で読者をひきつける。
本書は二部からなる。前半は「なぜ『軍事侵攻』は起こったのか」というテーマから、ロシア・ウクライナ戦争を考察する。二章の「宗教地政学」の視点は、一般のメディア情報では到底知りえない知識が満載だ。後半は、平和憲法を持つわが国が、世界でどうリーダーシップを発揮すべきか、具体的な提言がなされている。わが国は、次のような平和を希求すべきだと。①信頼に基づく平和、②目的としての平和、③軍事力に頼らない平和、④権力の源泉である民衆による平和、⑤歴史の途上ではつねに未完である平和。
軍事力や軍事同盟、「核の傘下」による平和がいかに非論理的であるか。二百五十キロ爆弾を搭載した三機のセスナ機が原発に「テロ攻撃」したら日本は壊滅状態になる。「アメリカの核の傘の下に救いあり」という信条は、「統一協会」まがいの擬似宗教カルトであると著者は訴える。
ニューヨークの国連本部の広場には、イザヤ書二章四節が刻まれた「イザヤの壁」がある。この御言葉に実存をかけて向き合い、「平和を造るために、私は何をすべきであろうか」と問うものでありたいと締めくくる。
書籍棚に収め、暴力について、戦争について考えるたびに手に取りたい良書である。ぜひお薦めしたい。