特集 戦争と教会、そして私 福音に逆行する動きに教会は

福音に逆行する動きに教会は『戦争と平和主義―エキュメニズムが目指すところ』刊行にあたって

富坂キリスト教センター総主事  岡田 仁

七十年以上前、日本であった戦争。その語り部たちも減り、戦争を身近に感じる人は少ないのではないだろうか。しかし、現代もロシア、ウクライナだけではなく、各地で戦争は起きている。戦争を身近なこととして捉え、教会として、また一人の人として考えたい。

『戦争と平和主義
エキュメニズムが目指すところ』
富坂キリスト教センター編
A5判 定価2,200円(税込)
いのちのことば社

ロシアのウクライナ侵攻をどう受けとめるか。不条理な苦難ゆえの怒りと報復をどのように乗り越えるか。世界と日本の教会とキリスト者はこれまで戦争をどうとらえ、これに取り込んできたか。ドイツや北欧の現状、近代戦争の変容する状況を報告する。

二〇二二年二月二十四日、ロシアが開始したウクライナ軍事侵攻は世界に大きな衝撃を与えました。これは、主権尊重、武力行使禁止という国際秩序の基本原則を踏みにじるものです。核戦争が現実味を帯びるようになった今日、私たちは兵役の問題や平和主義の課題をキリスト教、とくにエキュメニカル運動の視座においてどのように考えればよいのでしょうか。この二十世紀に始まった教会一致運動の立場にたつエキュメニズム(世界教会主義)こそが、様々な教派や宗派を超えた対話と和解を目指すものだからです。

兵役をめぐる議論から
富坂キリスト教センターは今春、『戦争と平和主義―エキュメニズムが目指すところ』(いのちのことば社)を上梓しました。これは、同センター「兵役拒否・平和主義・エキュメニズム」共同研究会(二〇一九~二〇二二)の成果をまとめたものです。
この研究会発足のきっかけとなったのは、二〇一〇年代以降に欧州において大きく変化した徴兵制の復活など兵役をめぐる動きにありました。その背景のひとつに、冷戦終結後も続くNATOの東方拡大が考えられます。ナチスの「過去」をもつドイツでさえ、兵役復活をめぐる議論がくすぶっていたのです。兵役を是とする国や派遣される兵士にとって、キリスト者であることと軍役に就くことは矛盾しないのか。紛争の解決方法として、武力による介入を教会はどう理解するのか。
これらの現実的な課題を深く検証していた最中に、ウクライナ戦争が勃発したのでした。

「戦争」をめぐる教会の歴史
当初、初代教会は「平和主義」を掲げていました。しかし、三一三年のミラノ勅令以降、ローマ帝国による保護と引き換えに戦争参加が信徒に義務付けられ、軍務から逃れる者は破門されます。教会は「正義の戦い」の原則に立ったのです。十字軍は、教会や宗教的指導者の率いる「聖戦」でした。

宗教改革は宗教戦争を促し、ルター派や英国教会の唱える「正義の戦い」の理論、改革派諸教会の「十字軍」の思想、再洗礼派・クエーカーなどキリスト教分派の「平和主義」の思想が再現します。殉教も辞さない平和主義者たちの非戦の姿勢は、兵役拒否の伝統を基礎づけました。

戦争拒否が、良心的兵役拒否の究極の在り方であるとすれば、良心的兵役拒否は人間にとって重要な基本的理念だといえます。ただし、日本では多くみられた「死にたくない」との感情的な動機付けによる徴兵逃れも、戦争から抜け出ることを行動で示したという意味で一つの「抵抗」でしょう。主流派教会が、戦争に対するキリスト者の立場として兵役拒否を支持することを表明したのは、一九四九年のエキュメニカルな世界教会会議(アムステルダム)が最初です。

「キリスト者の社会的責任」
エキュメニカル運動は、戦後一貫して世界における教会の課題を問うてきました。この運動が社会倫理の諸課題を担ってきたのは、教会の普遍的・世界的性格が、この世に対する教会の責任とつながる展望をもっているからです。
とくにエキュメニカル運動の大きな柱の一つである福音派は、一九七六年第一回ローザンヌ世界宣教会議以降、社会や政治の問題に積極的に参与するようになります。その要因がこの会議で採択された「ローザンヌ誓約」の第五項「キリスト者の社会的責任」でした。「われわれは、伝道と社会的政治的参与の両方が、ともにキリスト者の務めであることを表明」し、ここにキリスト者のミッション(使命)があると宣言したのです。

軍拡へと向かう日本で
わが国の昨今の安全保障政策をみたときに、仮想敵国をロシア、北朝鮮、中国に置くなど古典的な脅威対抗型戦略に基づいた軍拡へと向かい、そのために強い倫理的動機をもつ平和憲法が改悪されつつあります。
二〇一五年には集団的自衛権の行使容認と並んで「国際平和支援法」(戦争法)が国会で可決され、昨年末には閣議決定した安全保障関連三文書に、相手国領域を攻撃して日本へのミサイル発射を阻む敵基地攻撃能力の保有が明記されました。敵基地攻撃能力の保有は憲法九条に基づく専守防衛を形骸化させ、国際法違反の先制攻撃につながります。
過去の教訓に学ばず、神を畏れぬ為政者の傲慢と愚かさを思わされます。兵役は現実的課題であると同時に宣教的倫理的課題です。福音に逆行するこのような動きに対して、教会はいかなる態度をとるのでしょうか。

「目を覚まし」「祈る」
教会は、他者のための存在としてのキリストに基礎づけられた共同体です。イエス・キリストは他者のために最後まで仕え、苦しみを担い、十字架の道を歩まれました。

ゲツセマネにおいて主イエスが私たちに示されたのは、「目を覚ますこと」であり、「祈ること」でした。破局の時代にあって十字架の主の御言葉を聴き、黙想し、祈る(神との対話において自らの信仰を吟味する)ことが、他者との対話や交わりをより豊かなものとするのです。

キリストのからだから世界に散在し、約束の成就を信じて歩む、そのような終末的信仰と愛にたつエキュメニカルな共同体が教会です。キリストにおいて神ご自身が、人間の破れを補い、約束を成就してくださいます。
ですから、私たちは絶望する必要はありません。戦争を引き起こすのは人間ですが、悔い改めて(自己中心から神に方向転換して)戦争を止めるのも人間だからです。

聖霊の助けを祈りつつ、他者との対話を通して常に新しく豊かに成長し続ける、そのような希望に満ちた平和の道をこれからも共に目指して歩む者でありたいのです。

<用語解説>
エキュメニカル運動

Ecumenecal Movement.世界教会一致運動。今日のプロテスタント教会は様々な事情から教派的な形態の中で活動することを余儀なくされている。しかし、キリスト者のある人たちは、教会は本来、キリストにあって一つであるとの信仰に立ち、教会の一致を目指して活動を展開している。このような運動をエキュメニカル運動(教会の一致のための運動)と言う。(出典『新キリスト教辞典』いのちのことば社)