特集 「弱さ」とともに生きる ~キリストにある福祉の可能性~ どうして私は生きているのでしょう?

社会福祉法人・牧ノ原やまばと学園 理事長 長沢道子

表題の言葉は、共に暮らしたA子さんが悲しみの中で決まってつぶやいた言葉である。これをめぐって考えてみたい。
私が障碍を持つ人たちと身近に接するようになったのは、一九七七年(昭和五十二年)、榛原教会牧師で「牧ノ原やまばと学園」創設者でもあった長沢巌と結婚してからであった。

結婚後、私たちは障碍を持つ人たち数名を迎え入れて共同生活を始めた。「やまばとホーム」という名称で、夫の姉で知的障碍のみぎわさんや夫の母も住む七名のホームだったが、次々に、「入りたい」という人が現れ、ついには総勢十二名位の大家族になった。
その中には、人間関係がうまくいかず生きづらさを抱えていた青年男女もいて、彼らは、食事や排泄など介助が必要な人を助けてくれるようになった。

*   *

さて、冒頭に記したA子さんは、「フェニルケトン尿症による知的障碍」と診断された人だった。中学生の頃、大学教授(医師)から「あなたは、自分が診たフェニルケトン尿症患者の中で二番目に知能が高い人だから必ず治る。治療させてほしい」と言われ、希望を抱いたご両親は国立のG病院へA子さんを託した。三か月間の「面会禁止期間」が終わり、会いに行ったところ、A子さんは食事を拒否して栄養失調になり、歩行不能の状態に陥っていたとのこと。

以来、生活能力はすっかり後退し、着衣着脱、排尿排泄等もできない人になった。帰宅した頃は一日中まったく動かなかったので、ご両親は仕事の合間にA子さんのお世話ができたが、三年後くらいから急に多動になり、見守りの人が必要になった。しばらくして、ホームのことを知り、入ってきたのだった。

言語能力が高かったA子さんは、見守りの女性が口にした古めかしい言葉に関心を抱き、確実に暗記していた。我が家に来てからも、「皆の衆、よろしゅう」とか、「さらばじゃ」とか言って笑わせた。
郵便局では、老眼鏡を見つけて顔にかけ、「ややや、三次元の世界がみえてきた!」と言って、局員たちを驚かせた。
ホームでは、毎日、夕食時に順番にお祈りをすることになっていたが、多くの仲間が「ありがとう」とだけ祈るのに対し、A子さんは違っていて、ある夕べには、こんなお祈りをした。「神様、今日も、ご苦労様でした。」(きっと神様も、ほほえまれ、疲れがとれたに違いない。)

そんなおもしろい面があるA子さんだったが、時々孤立し、うつ状態に陥ることがあった。自分の鼻を手で強く押しつけ、私たちがなだめてもまったく耳に入らない状態になり、体を小さく丸めて、部屋の片隅ににじり寄っていく。暗い所に無言のまま座っていることもあれば、大声で軍歌を歌い続けることもあった。そして、「どうして私は生きているのでしょう?」とつぶやくのであった。
病院で何があったか知る由もないが、A子さんがひどく傷つけられ、打ちのめされたことは推測できた。そのときの、だれからも見放されたという孤独感、絶望が、我が家に来てからも突然思い出され、悲しみの大波に襲われてしまうようだった。

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「やまばとホーム」で暮らしたBさんにしてもCさんにしても、また、「やまばと作業所」で一緒に働いたDさんやEさんにしても、私が出会った人たちはみな、程度の差はあれ、軽蔑や無視、いじめや差別にあい、傷つけられた経験を持っていた。しかし、恨み言を言う人はおらず、みな、他者から受けた悪を心の内に秘め、身近な人に「好きだよ」と言い続け、友となってくれる人を求めていた。
今から振り返ると、この人たちに必ずしもいつも優しくはできなかった自分が思い出され、申し訳なく思う。にもかかわらず、「道子さん」「道子さん」と親しく接してくれた人たちであった。私の弱さを受け入れ、ゆるし、元気づけてくれたことに対して、「ありがとう」と感謝したい。
もしA子さんが「私はどうして生きているのでしょう?」とつぶやいたら、その傍らに座り、「生きていてくれて、ありがとう」と言いたい。「そんな質問をしなくてもよい人間関係になるよう、努めるからね」とも告げたい。

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一九八三年、夫の長沢巌は髄膜腫摘出手術を受け、成功率九五パーセントと言われたのに、深刻な結果になった。視力障碍、意識障碍、四肢麻痺という、最重度の心身障碍者になったのだ。
「やまばとホーム」は解散し、仲間とも離れ離れに。「やまばと作業所」は別の人に託すことになった。以来、私は夫の介護をし、一九八六年からは理事長の務めも加わり、二〇〇七年に夫が召されるまで二つの仕事が続いた。

じつに無念な出来事だったが、あらためて、だれでも障碍者になりうることを実感させられた。イエス様が、ご自分を最も小さい者と同一視され、この人たちを大切にするよう命じておられるのは、じつに深い神の知恵、計らいだということも。
夫は、無力で弱い人になってしまったが、無視されたり排除されたりする悲しみを味わうことはなかった。多くの人に大切にされ、最後まで温かい交わりの中に置かれ、その意味ではとても幸いな人生だったと思う。神様は、誰一人、取り残されないよう、不幸に陥らないよう願っておられることと思う。

現在、私は管理的な業務に従事することが多く、障碍をもつ人たちとのふれあいは間接的なものになっているが、この人たちの「友」という気持ちで、また、彼らの願いを代弁する思いで働いている。
イエス様は、私たちが、人々に、生きる力や希望を豊かに与える人となるよう求めておられる。主につながって、その求めに応えていきたいし、そのような人々の輪が広がっていくことを願っている。

社会福祉法人
牧ノ原やまばと学園
1970年、キリスト教会が中心になって重度知的障がい児のための入所施設を開設。創立11年目には特別養護老人ホームを開設し、高齢者福祉にも着手。
設立当初から掲げている「ともに生きる」の目標のもと、現在は牧之原市だけでなく、吉田市、島田市にも活動を広げている。
HP http://yamabatogakuen.jp/main.html

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