特集 「弱さ」とともに生きる ~キリストにある福祉の可能性~ 弱さを分かち合う交わりのなかに

NPO法人 ホッとスペース中原・代表  佐々木 炎

私たちは教会の上に「シェアハウス」をつくりました。ケアの必要な高齢者や障碍者、親元に帰ることのできない若者、在留外国人、刑務所から出てきた人たちが助け合って生活をしています。

最近、八十代の認知症の女性と、刑務所から出てきた元暴力団員の四十代の男性Aさんが同居することになりました。初日から事件は起きました。認知症の高齢者が夜中に徘徊をして、男性の部屋のドアをガタガタさせたのでした。すると男性は「このやろう!」と怒鳴るのではなく、部屋へ招き入れてゆっくりと一時間、お話を聞いてくれたのです。その後も毎晩、その女性の徘徊に対して話し相手をして不安をやわらげたり、日中は隣に座り、一緒にお茶を飲んだり、食事を介助したり、手を引いたりしてくれていました。
そのような様子を見かねた私は、今の部屋では女性の徘徊で生活が大変だろうと考え、今までよりも広い別の棟の個室へ移動してはどうかとAさんに提案しました。するとAさんは答えました。

「このまま一緒に住んでいいですか。女性の力になりたいのです。」

夜の暗闇を彷徨っている認知症の女性にとって、真の隣人は刑務所から出てきたAさんであり、また、認知症の彼女が、Aさんに生きる価値を思い出させ、希望を灯す存在となったのです。

この社会には弱くされた人が存在します。認知症の人や刑務所から帰ってきた人はもちろん、生活困窮状態の人、障碍のある人、メンタルヘルスの問題を抱える人、ひきこもり状態にある人、ひとり親の家庭、DV等の被害者、外国人等の方々。これらの「弱さ」のある方々の「弱さ」とは何かということは、一言で言うことは難しいでしょう。ただ、そこに生活上の困難があるということは確かです。
そして私は、その困難を前にした方々と「シェアハウス」などの現場で関わることで、視座を変えられ、人生の深い真理を学んでいます。

あるとき、先のAさんが私に尋ねました。
「佐々木さん、どうして私のような社会から排除され、誰からも必要とされない人の身元引受人になってくれたのですか。」
彼は帰る家も、待っている家族もこの世界にいない、孤独な存在となっていました。経済的に困窮し、糖尿病などの病を負い、未来の見えないなかで自分の「弱さ」と向き合っていたのです。そのなかで、刑期を終えて社会に戻ったけれど、こんな自分なんか生きる意味や価値などないのではないか、との思いが生まれていたのです。それはまさに自分の存在を揺り動かす「スピリチュアルな痛み」として、Aさんの魂を刺し貫いていたのです。

Aさんは私に問いながら、同時に神に問いかけたのであり、私という存在を通して、神からの応えを求めていたのです。
神は愛です。愛そのものなのです。神はAさんの問いに、気にかけなければならない認知症の女性を遣わし、Aさんが生きるに値する現実に存在するという証しを与えてくれたように思います。自分なんか何の役にも立たないと思い込んでいた自分を必要としている人、いや、自分が愛おしみ、労い、支えるべき他者に出会わせてくれたのではないでしょうか。

Aさんは今、神ご自身が自らのひとり子を犠牲にしてまでも自分を愛しているという限りない愛に出会う準備を、認知症の女性との関わりから学んでいます。そしていつか、神にある自分の価値と尊厳に気づく日を整えているのです。

私たちは誰もが、「弱さ」のある存在ではないでしょうか。誘惑に負ける意志、老いや病による身体機能の低下、仕事における行き詰まり、経済的な乏しさ、そして、誰かを愛せなかったり、赦せなかったり、受け入れらなかったり、嫉んだりする弱さ。数えきれない弱さがあることは認めざるを得ません。しかし、それは人間として不完全だとか、信仰が足りないとか、罪があるという話で終わりません。誰もが弱さを一生涯抱え、苦しみ傷を受けることで、「人はひとりでは生きることはできない」(創世2・18参照)真理に気づき、学び続ける機会ともなるはずなのです。私たちの弱さは、神に愛されていることを教え続けてくれる恵みのシグナルとも言えます。

私も、Aさんも、認知症の女性も、そしてあなたも、意のままにならない現実の中で、弱さを抱え、時に孤独になり、右往左往するという意味で仲間なのです。大切なのは、Aさんのように自らの弱さを通して他者の痛みを知り、共に生きることです。そのとき、お互いが弱さにあって強くなるパートナーとなることができるのです。

弱さを分かち合う交わりのなかに、神を見いだすことができます。だから私たちは弱さを抱えた他者のところに赴き、自分の弱さと他者の弱さを重ね、一緒に苦しみ悩み、共に歩むのです。その場においてはじめて、今もそのままの自分をかけがえのない者として愛し、心を痛めておられる神に出会うのです。神は、人の弱さのなかで出会うのを待っておられます。
Aさんはその後、福祉の仕事へ、教会へと導かれています。もちろん、これからも揺れ動く葦のように困難は度々やってくるでしょう。また、認知症の女性も、認知症はますます深まっていくでしょう。

でも、その何度でもやってくる弱さから、愛や希望のありかを一生涯学び続けて、共に生きる神の国の共同体の仲間へと変えられていくのだと思います。そして、私たちも同じ道をたどっています。他者の弱さと出会うなかで多くのことを学び、視座を変えられ、神の国の共同体に導かれていくのです。