読書会、始めてみませんか? ~「共に」本を読むという恵み~ オンラインで分かち合う豊かさ

最近、読書をしていますか。グループで一冊の本を読み、分かち合う「読書会」が対面だけでなく、オンラインやオーディオブックを用いたものなど、コロナ禍で新たな形で行われ始めています。読書会の「今」を取り上げます。

『情緒的に健康な女性をめざして』訳者   鈴木敦子

『情緒的に健康な女性をめざして』(いのちのことば社、二〇二〇年)が出版されて間もなく、私は仙台バプテスト神学校で講座を開き、延べ二十名余りの女性たちと共に、著者が提案する情緒的に健康になるための「八つのやめるべきこと」に取り組みました。講座が終わる時に受講した女性たちから、せっかく始めた取り組みを続けたい、という声が上がり、私は講座(講義)ではなく「読書会」という形で、取り組みながら分かち合いを続けていくことにしました。
もともと『情緒的に健康な女性をめざして』のオンライン読書会は、四国の友人が開催していて、私も数回参加させてもらったことがありました。その時の感動がずっと心の中にあり、いつかオンラインで読書会を開きたいという思いを温めていました。ですから、ついにその時が来たとばかりに、私は勇んで参加者を募集しました。
何人くらい集まるものか、どうやって募集しようかと全く手探り状態でしたが、口コミが口コミを呼び、全国各地から集まった三十名でスタートしました。次のように決めました。
・参加者は女性に限定(書名からも明らかですが、それ以上に、男女混合で行うと自由に本音を言うのが難しくなると考えたからです。)
・毎週一回、一時間半で一章を取り扱う(終了後三十分の放課後時間として自由におしゃべりできる時間を設ける。)
・参加者は事前に読んでくる(読まなくても参加可。)
・グループ分けは、リモートのシステムを使って自動的に振り分ける(初対面の人との対話も良い意味でチャレンジです。)
以前から読書会に興味があり、ウェブ上での会に参加していましたが、リアルなやり取りができないことに歯がゆさを感じていました。コロナ禍でオンラインでのコミュニケーションに抵抗がなくなったことは予想外の益です。
私が初めて参加したオンライン読書会で味わった感動は、参加者の皆さんも同じように感じておられました。何よりも場所を問わないため、年代、教派を超えて、さまざまな背景を持つ人たちと出会えるのは、人との接触が制限されているコロナ禍では、大きな驚きと喜びをもたらしてくれました。出会いたくても出会えなかった他のクリスチャンの姉妹たちと繋がることができることは心強く、安心感を得られ、心の支えとなります。そして回を重ねていくうちに、まだ実際に会ったことはないのに、「同志」のように感じるようになるのです。
私たちは、何を学ぶにしても他者の力が不可欠です。教師や導き手はもちろんですが、共に学ぶ仲間なしでは、学び取ることには限界があります。私も以前は一人で黙々と本を読み、それで学んだつもりになっていました。人の目に触れないところでこっそり変わって、成長した姿で格好良く現れるところを想像していました。しかし、真の成長はそんなに格好の良いものではありません。頭の中だけでの読書では、自分の罪の現実に向き合うには不十分なのです。実際私が一人で黙々と本を読んできた結果は、頭でっかちで高慢な自己満足でしかありませんでした。
共に取り組んできた姉妹たちが口にするのは、「一人ではできない」ということと、「安心した場所が必要」だということです。
・他の人の視点に教えられ、気づかされることが多い。
・互いの話を否定せずに何でも話せるような雰囲気があり、話しやすかった。
・自分が変わるきっかけとなった。
・解放され、楽になった。
・課題に取り組んでいくには「鏡」の存在が必要であると教えられた。
パウロが手紙の中で繰り返しているのは、「あなたがた」という複数形です。私たちが神のかたちに造られているのは、三位一体の神、共同体の神にかたどられているということです。私たちも共同体の中に生かされてこそ、真の自分に近づいてゆけるのです。
共同体の中に入って行くのには、恐れが伴います。その共同体は、はたして安心できる場所であるかどうかわからないからです。参加者が読書会で安心して本音を吐露し、自分の思いや経験を語ることができるのは、読書会が安心できる場所になっているからだと思います。何を言っても裁かれない、聴いて受け止めてもらえるという安心感は、健全な成長のために不可欠です。
この安心できる場所のことを、アメリカの社会学者ブレネー・ブラウン博士は「勇敢な者たちの場所」と呼びます。安心できる場所は作ろうと思って作れるものではなく、勇敢な者たちが集まり、勇気を出して自己開示することによって作られていきます。「勇気(Courage)」という言葉もまた「自分の心をすべて注ぎ出して、自分の思いを語る」という意味があるとブラウン氏は言います。言い換えれば、これは「告白」に他なりません(Ⅰヨハネ1・9)。ですから、主催者である私ひとりで安全な場所を作ることはできません。参加者が勇気をもって読書会に参加し、自分の思いを語り、それを互いに聴き合うという積み重ねによって作られていくのだと思います。
ではその勇気はどこから生まれるのか。それは父なる神の愛です。神を全く信頼し、そこに真の安心感を覚えているなら倒れても大丈夫。神が受け止めてくれるからです。そしてその神の愛を、私たちは肌をもった者たちの関係の中で味わっていくのだと思います。
ある参加者はこう言います。「本の内容が自らの課題に重なっていく時、自然と告白のように自分の課題について語り始めることができます。語ること、聞くこと、その両方の立場の中で共に主に真実を追求し真実に歩みたいという願いの確認がなされていきます。ご参加の皆さんの表情が次第により明るく、軽くなっていくのです。」
『情緒的に健康な女性を目指して』の読書会が終了した後、参加者を再募集し(ほとんどがリピーター)、今私たちはティモシー・ケラー夫妻の著書『結婚の意味』(いのちのことば社)を読んでいます。G&M財団によるJust ShowUpというプログラムで、オーディオブックを三十分ほど共に聴いて、その後グループでディスカッションをしています。尊敬するケラー夫妻の良書を皆で読める喜びは非常に大きいのですが、それ以上に三十代から七十代のさまざまな背景を持つ女性たちが、この本と取り組んでいることにも感銘を受けています。当初は既婚者ばかりが集まると思いきや、いろいろな理由で独身でおられる方々も多く参加されています。
夫婦の話題はきわめて個人的なことなので、ディスカッションがどう展開するか密かに心配していたのですが、杞憂に終わりました。あらためて、勇敢な姉妹たち、そして彼女らに勇気を与えてくださる神に感謝します!