京都のすみっこの 小さなキリスト教書店にて 第二回 知っていてやってしまったことと 知らずにやってしまったこと

CLCからしだね書店店長 坂岡恵

略歴
社会福祉法人ミッションからしだね、就労継続支援A・B型事業所からしだねワークス施設長。精神保健福祉士。社会福祉士。介護福祉士。2021年より、CLCからしだね書店店長。

ある日、書店に電話がかかってきました。
「〇〇牧師の書かれた、〇〇という伝道用の本ありますか?」「はい、あります。」
「よかった。その本の大きさと厚さ、字の大きさ、目次とか、いろいろ教えてください。」
「ちょっと、調べますね。」(本を開き、定規を出して測り、たくさんの質問に答える。)
「あ、そうですか。助かりました。これで安心してアマゾンで買えます。」「……。よ、よかったですね……。」
キリスト教書店の店員さんなら、一度はこんなやりとりをした覚えがあるのでは? 単に本を売っているだけではないのが、キリスト教書店です。自分の店で買ってくれなくても、どなたかの信仰生活や伝道のお役に立てるのなら、それはそれで神様のお役にも立っているのだから……と、忍耐して納得……は、できませんでした。
一方、ある牧師さんからの電話。
「すみません。図書カードは使えますか?」
「申し訳ありません。図書カードは取り扱っていません。」
「そうですか……。じつは、信徒さんから就任のお祝いに図書カードをいただいて……。大変申し訳ないのですが、しばらくは、からしだね書店で本を買えないかもしれません。でも、なるべくご迷惑をおかけしないように工夫しますから。」
「いやいや、そんな、ご迷惑だなんて……。どうぞくれぐれもお気遣いなく……。」
図書カードを贈ってくださった信徒さんに感謝しながら、書店にも思いを馳せて心を痛めてくださるこの牧師さんの正直さに、胸が熱くなりました。
前回、キリスト教書店のみならず、キリスト教出版業界も含め、日本の出版業界そのものが大変厳しい状況に置かれていると書きました。図書カードの導入さえできない全国の多くの小規模書店は、そのことを申し訳なく思っていると思います。この牧師さんの言葉からは、そんな厳しい状況にある書店の状況を知り、祈り、理解し、協力者としての役割を担いたいという、小さな優しさが見え隠れしているような気がしました。
ネットだと手軽で早くてポイントもついてお得かもしれないのに、あえて書店で買い物をしてくださるお客様とのやりとりの中に、私たちは「手軽で早くてお得」でないものだけにある「何か」を、探っていきたいと考えています。
さて、仏教のお話ですが、お釈迦さまのお弟子さんがこんな質問をしたんだそうです。「知っていて犯す罪と、知らずに犯す罪とでは、どちらが重いのですか?」
ふつうに考えると、知っていてわざと犯す罪のほうが、知らないで犯してしまった罪よりも重い、という答えが返ってきそうなものです。ところが、お釈迦さまはこのように答えました。「知らずに犯す罪のほうが重い。」
仏教でいう「罪」とキリスト教でいう「罪」は、少し意味合いが違うのかもしれませんが、私はこのお釈迦さまの答えにとても共感するのです。きっとここで問われているのは、他者あるいは自分の隣の世界で起こっていること、または起きるかもしれないことを知ろうとする、関心を持とうとする、想像する、そのような態度や姿勢のことだと思うからです。自分の関心事にしか興味がなく、他者の関心事や状況を知ろうとしない無邪気さ、無頓着さ、横着さ―が引き起こす出来事の陰には、だれかの涙が隠れているような気がします。
「実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す」(伝道者1・18)と伝道者は言います。知恵や知識をいくら追い求めてもきりがなく、空しいものだと。でもだからといって、知恵や知識を追い求めることをやめてもいいのかというと、それはちがうと思うのです。
すべてを知り尽くすことなど到底できない私が、世界の反対側で苦しんでいるだれかのことを知ろうとする。その苦しみを和らげるための知恵や知識を追い求めて、小さな行動を起こす。知れば知るほど悲しくつらく、虚空をつかむような悩みが増え続けます。「知らなければよかった」「やらなければよかった」と思うこともしばしばです。
でもその悲しみや空しさが、小さく弱くなって私のところに来てくださったイエス様の愛に通じるような気がしてならないのです。そしてそこにこそ、福音の本質にかかわる何かがあるのではないかと思うのです。
神様はきっと、知識を増し、悲しみを増し、空しさに耐えようとする人たちが増えることを願っておられます。そして書店の営みは、そのみこころにかなっていると、私はひそかに自負しています。