書評Books 傍観者であることをやめ

東京基督教大学 准教授 岩田三枝子

『宗教と社会
社会が宗教を規定するのか?宗教が社会を変えるのか?』
渡辺聡 著

四六判・定価2,090円(税込)
いのちのことば社

 

本書の著者は牧師であり、宗教社会学者です。

本書はまず、模範預言と使命預言の枠組みから、儒教やヒンドゥー教、仏教、日本の宗教などを示し、最後に古代ユダヤの社会倫理とキリスト教を提示して他宗教との違いを明らかにします。「カリテート(人道的愛)」をキーワードとして、旧約聖書の律法では、落ち穂拾い、ヨベルの年、逃れの町など、社会の弱者に対する配慮の言葉があちこちにちりばめられていることが語られます。そして、この隣人に対する愛の行為への促しはユダヤ教からキリスト教へと受け継がれていることを示し、聖書の神が、日々の生活の中で神を信じる者がいかに弱者と共に平和に生きるかということに関心を寄せる神であることを読者に思い起こさせます。

さらに、著者は現代のキリスト教へと視点を移し、社会派と福音派の両グループの分断の経緯を解説しつつ、差別、人権、経済的収奪といった社会的問題のニーズに応えるマクロレベルと同時に、目の前にいる人々、すなわち地域社会のニーズに応えるミクロレベルの両方のアプローチが統合される必要を説きます。

最後に著者は、第二次世界大戦中の対照的な二種類の対応を示します。一つは国家体制に吞み込まれていった日本のキリスト教界であり、もう一つは、ナチス体制下において、ナチスに従うことよりもユダヤ人の命を救うことを選択し、使命預言的宗教としての役割を果たしたキリスト者たちです。本書の最後に、本書サブタイトルの問いへの著者の確信が示されます。「神を信じる者が、隣人を愛し弱い者を守るという神から与えられている使命に気づき、それを遂行するために、傍観者であることをやめて弱者に対する社会の強制を突き破っていく時、社会が宗教を規定するのではなく、宗教が社会を変える時が来るのだと思う」(本文二〇六~二〇七頁)。

本書を通じて、キリスト者としていかに日々を行動すべきかを思い巡らせました。生き方を問われ、心を揺すぶられる一冊です。