331 時代を見る眼 神なき経済とコロナ禍〔1〕  資本主義とコロナ禍

千葉大学大学院国際学術研究院・教授
石戸 光

 

新型コロナウイルス感染症により外出や仕事の機会が制限され、「所得が減ってしまって今後が心配」、また「私はなぜこの生活・仕事をしているのだろう」、「コロナ禍の後には、どんな社会になっていくのか」、などと「ステイホーム」の時に多くの方々が思ったことでしょう。

企業が効率性、生産性、利益拡大を最も重視し、あたかも「神聖視」するかのような経済社会の中で、所得格差や労働の疎外といった、本来神の似姿として造られたはずの人の尊厳が無視されて、物やサービスの生産に必要な「労働力」としかみなされていない社会の実情、言いかえると「神なき経済」の問題を含めて、3回に分けて書かせていただきます。

私たちを取り巻く世界全体の現状として、世界銀行は、コロナ禍による所得格差の拡大を警告し、「高所得国の大半はパンデミック前の所得水準に回復するけれども、同じ期間で同様の回復を果たせる低所得国は半分にとどまる」としています。

特に所得の低い国では、新型コロナワクチンの生産が技術の欠如で行われず、輸入された少量のワクチンの分配体制も整っておらず、そのため経済活動の再開も十分に進まず、所得が低いままとなってしまい、同時に食料価格の高騰など、生活面への打撃を受けやすい状況です。また筆者がかつて勤務した国連開発計画(UNDP)は、新型コロナウイルスが「最も弱い立場にある人々に最も大きな打撃を与え続けることになる」と指摘しています。

経済格差という問題を、資本主義体制が原因として熱を込めて論じたのが、19世紀の思想家・社会運動家のカール・マルクスで、彼の書いた『資本論』は有名です。マルクスはユダヤ人の家庭に生まれ、支配層の白人社会からは、非キリスト教徒でお金に貪欲というイメージがあったユダヤ人としての差別を受け、当時の資本主義社会と、それを傍観しているように思われた神への復讐心をもって、共産主義の思想(私有財産を否定して、社会の皆で平等に生産し、所有するべきとする思想で、神や宗教を否定し物質的な繁栄のみを価値とする)を打ち出していったようです。

コロナ禍の現在でも、低賃金や失業によって貧困状態になり、社会に対して否定的・悲観的な思いを持つ方々がいることを私たちは知っています。

次回は、コロナ禍に関連する資本論の内容について、キリスト者として考えてみたいと思います。