泣き笑いエッセイ コッチュだね! みことば編 第21回 ごっつええ!

朴栄子 著

 

「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55・9)

人生はドラマだとよく言われます。どんな人の人生にも、ユニークな物語があります。
一日の仕事を終え、夕食をオモニとほおばっていると、じわじわっと幸せ感がこみ上げます。平凡な食卓ですが、ただ美味しいねと笑って食べていること自体が、奇跡です。

現在コロナのために長らく休止になっていますが、それまでは毎月、大阪のあいりん地区のそばにある「愛の家」で奉仕をしていました。野宿者支援礼拝に参加し、説教をするためです。宣教師のキム先生夫妻が、二十四年前に自宅での礼拝から始められた教会です。
来日当初は、在日教会を牧会されていました。ところが心傷む出来事があって、なけなしの宣教資金と働きの場を失いました。もう帰国するしかないと思ったとき、奥様が「断食して祈ってから決断しましょう」とストップをかけました。
そんなさなか、衰弱して行き倒れていた在日の高齢男性と出会い、連れて帰りました。男性は夫妻の祈りと愛情により回復して、やがて仲間を連れてくるようになりました。「愛の家」ミニストリーの始まりです。
釜ヶ崎の寄せ場で温かいコーヒーを配布することから始め、食事を提供するようになり、教会の建物を持つようになりました。二〇〇〇年には、中古物件を購入して礼拝堂を献堂するまでになりました。
と、長い苦労の物語をサラッと書いてしまいましたが、途方に暮れ、もう辞めたいと涙が枯れ果てるようなことも何度もあったと思います。
けれども神さまを信頼してコツコツと続けるうちに、多くの個人や教会からの支援を受けるようになりました。数年前には韓国のキリスト教番組や、朝日新聞にも紹介されました。働きが実を結び、多くの人が敬意を払うようになったのです。

ああ、こう書いていると「愛の家」の礼拝が懐かしい! みんなで歌って踊って、主を賛美したい! おっちゃんたちに会いたい!

二〇〇六年秋のこと。わが家を訪ねてきてくださった夫妻に、「お父さんの代わりに、来てくださいね」と言われたときは、本当に困ったなと、オモニと顔を見合わせました。

生前アボジの奉仕に、何度か同行したことがあります。人生の酸いも甘いも嚙み分けた白髪の老牧師の話に、年配の方々は、そうだそうだと首を縦に振っていました。その姿を見て、当時伝道師だったわたしは、もし自分があそこで語ったら、誰も聞いてくれないだろうなと思ったのです。
けれどもそれは全く了見違いでした。とりあえず義理で一度だけ、と思って最初の説教をした日のことは、忘れられません。

炊き出し目当てで、礼拝では寝ている人も多いのですが、それでも吸い込まれるようにじっとこちらを見て、うなずいている人がいました。そして何より語っているわたしが、イキイキしてる! あっ、これは、毎月来ないといかん! 瞬時に心を決めました。

それからは毎月ふたりで、いそいそしながら通ったものです。落語を習うようになったのも、おっちゃんたちに喜んでもらいたい、飽きさせずに聞いてもらいたいということがきっかけです。

牧師になった十五年前には、思い描きもしなかったことが目の前に広がっています。つまずいたことも、落ち込んだことも、うれしかったことも、想定外のことばかり。

キム夫妻の物語は出版されましたが(残念ながら日本語版はまだありません)、わたしの人生もドラマの連続で、書くネタに事欠きません。わたしが思いつくことなどたかが知れていますが、神さまがなさることはいつでも意表を突いており、超越しています。

イスラエルの人たちがエジプトを出た日を忘れないように、わたしも与えられた多くの恵みを忘れないようにしたいのです。特にうつだった日々のこと、オモニに優しくできなくて自分を責めたこと、自分なんて価値がないと思ってしまったこと。不安が取り去られ、黒雲が晴れて青空が広がった日のこと。

思い描いたとおりにはちっともいかなかったけれど、わたしの道よりも、ゴッズウェイ(神の道)はごっつええ! おあとがよろしいようで。

在日大韓基督教会・豊中第一復興教会担任牧師。1964年長崎市生まれの在日コリアン3世。
大学卒業後、キリスト教雑誌の編集に携わる。神学修士課程を修了後、2006年より現職。
★オモニの動画→YouTube「タミちゃんねる」で検索 ★「愛の家」ainoie.org

*「コッチュ」は韓国語の「唐辛子」のこと。小さくてもピリリとしたいとの願いを込めて、「からし種」とかけています。