特集 名著を味わう 名著との出会い

世代を超え、読み継がれてきた信仰「名著」。
長い年月を経ても色あせることのないその魅力と、名著をとおして信仰が養われるとはどういうことかを考える。

 

日本福音キリスト教会連合・東松山福音教会 牧師  岡山英雄

名著は、時代を超え、現代の私たちに語りかけます。私は求道中に、三人のキリスト教思想家によってキリスト教信仰へ導かれました。

その一人は、十七世紀フランスの思想家パスカルです。彼は当時最高の知性を持つ科学者でしたが、三十一歳の夜、深い信仰体験をし、死後それを記したメモが見つかりました。『パンセ』(前田陽一・由木康訳、中公文庫)は、この体験に基づいて書かれました。

『パンセ』において、彼は人間と世界の現実を鋭く洞察し、人間にとってキリスト教が不可欠であることを示します。私はこの書によって、科学的な緻密な思考とキリスト教信仰とは、矛盾しないことを確信しました。第一部「神なき人間の悲惨」では、私たちにとって何よりも重要な「死」の問題に真剣に取り組むべきことを指摘し、第二部「神と共にある祝福」では、預言の成就というキリスト教の独自性を強調し、さらにイエスの十字架の苦しみについて、『パンセ』全体の頂点とも言える「イエスの秘儀」を記します。

二人目は、十九世紀のデンマークの哲学者キルケゴールです。彼は世俗化した国教会に対し、「キリスト教国で真のキリスト者になること」を目指してペンを執り、著述に生涯をささげました。『死に至る病』では、神から離れていることすなわち罪こそが、人を精神的な死に至らせる病であることを鮮やかに示しています。また『キリスト教講話』では、瞬間にすぎないこの世と、永遠の世界の真理を鋭く対比させながら、キリスト教信仰の揺るぎない世界を描いています。英訳でこの書を読みながら、「野の百合、空の鳥」などの講話の美しい表現に魅了され、信仰の世界に導かれました。

決定的な影響を受けたのは、十九世紀のロシアの作家ドストエフスキーです。彼は農奴制から革命へと揺れ動く激動の社会の中で、キリスト教の持つ意味を追究しました。『カラマーゾフの兄弟』では、神の造られた世界に、なぜ不当な苦しみ、特に児童虐待が存在するのかという問題を論じています。また『悪霊』では、当時広がりつつあったニヒリズムに対し、帰謬法という思考方法によって、その問題点と限界を明らかにしています。さらに『死の家の記録』、『地下室の手記』、『罪と罰』、『白痴』などの名作が残されています。

彼らに導かれ聖書を読み始め、二回通読しましたが、福音の核心が理解できません。そんな時、一冊の注解書がそれを示してくれました。F・F・ブルースの『ローマ書注解』です。この書では、三章まで人間の罪深い姿が描かれ、四章から信仰義認の偉大な真理が語られ、五章でそれが明らかにされます。その力強い言葉によって回心したのは、大学浪人の時です。その後、教会へ導かれ洗礼を受けました。それから三十年後に、この書の翻訳の機会を与えられたことに感謝しています(ティンデル聖書注解、いのちのことば社)。

大学では宗教学を学びましたが、二年生の時、カルヴァンの『キリスト教綱要』によって、キリスト教神学の壮大な世界に眼を開かされました。この書は、十六世紀のスイスのジュネーブで改革運動を行いながら執筆され、五度改訂増補され、その後のプロテスタント運動のあり方に大きな影響を与えた名著です。

留学を終え帰国し、日本人とキリスト教について考える中、欧米の思想をそのまま輸入し、喧伝しているだけでは、真の神学は生まれないことに気づきました。日本という国の現実、直面している問題を洞察し、独自の思索を深める必要があります。そんなとき、内村鑑三の著作と出会いました。
彼は明治時代、キリスト教が日本で広まりつつある時、日本人にとってキリスト教とは何かを考え抜きました。私は岩波書店の編年体の全集で読みましたが、読みやすい形で編集された全集も出版されています。

全集の中でも、特に一八九四年の日清戦争から一九〇四年の日露戦争までの十年間に、義戦論から非戦論へと変化していく頃、また一九一二年に長女のルツ子が十九歳で夭逝した時、一九一八年の再臨運動の頃の文章は秀逸です。内村が強調した非戦論と再臨待望、この二つは初代教会の信仰であり、現代の教会にとっても必要なものではないでしょうか。

名著を深く理解するためには、その著者の他の作品、できれば全集を読むことが有益です。その書の時代背景、著者の人生や考え方を知ることができます。優れた書は、著者がその時代の問題と取り組み、その克服のために書かれました。その書が生まれてきた経緯を知ることで、その思考を、時代を超えて現代に生かすことができるのです。

信仰に導かれて五十年が経とうとしていますが、これらの名著を読み返しながら、彼らと対話を重ねてきました。今、彼らが現代に生きていて、この日本と世界の現状を見るなら、何をどのように論じるだろうか、そう問いかけながら、読書と思索、執筆を続けています。考えに行き詰まった時、彼らの著作は新しい力を与えてくれます。

生前、執筆した本は一冊のみ。その死後、妻の手により、講義と説教から数々の信仰名著が生み出された―