特集 名著を味わう オズワルド・チェンバーズの生涯

長野キリスト集会 代表責任者 尾崎富雄

第一次世界大戦が勃発して四年目、英国軍が駐留するエジプトのカイロでは、葬儀は日常茶飯事と化していた。しかし、その中で、一人の民間人でありながら、最高の栄誉礼をもってその死を惜しまれた人物がいた。YMCAの主事をしていたオズワルド・チェンバーズである。享年、わずか四十三歳。

虫垂炎の痛みに耐え、兵士たちの治療を優先し、手術を延ばしに延ばした結果、手遅れになったことが原因であった。

英国軍の若い兵士たちの精神的な支柱であり、神の声の代弁者であったチェンバーズの死は、まさに青天の霹靂であった。延々と続く人々の葬列、そして将校や政府高官に準ずる栄誉礼は、遠く故国を離れた地においても、チェンバーズの働きがもたらした影響が、軍人と民間人を問わず、人々に深く浸透したことを物語っている。

MyUtmost for His Highest(拙訳『限りなき主の栄光を求めて』)に、自分が「裂かれたパン、注がれたぶどう酒」になることが、主に仕える者の基本的な姿勢でなければならない、という表現がたびたび登場する。自らのいのちを主にあって差し出すとき、主はそれを尽きない湧き水の出る泉に変えてくださる、というメッセージである。

チェンバーズの死は、まさに自分というパンを裂き、自分というぶどう酒を注ぎ出したことの一例であったのではないだろうか。

チェンバーズは、一八七四年にスコットランドのアバディーンに、バプテスト派の牧師の末息子として生まれた。両親ともに、C・H・スポルジョンからバプテスマを、そして霊的な薫陶を受けた忠実な聖徒であった。

チェンバーズがそのような環境の中で、十五歳にして信仰を言い表したのは自然の流れであった。主イエスに対する信仰と真実は一生揺らぐことはなかったが、自分がいかにして神の栄光を表すべきか、については父親との間に意見の相違が生じた。絵画や音楽に天分を示したチェンバーズは、芸術の方面に進むべきだと考えたが、父親は、世の影響を受けやすい分野であるがゆえに、霊的に堕落することを恐れたのである。

いったんは、ロンドンの王立芸術学院で学び、故郷スコットランドの名門校エジンバラ大学に籍を置くが、ついに学費が尽きてしまう。悩んだ挙句、グラスゴーのダヌーン・カレッジに入学するが、そこはエジンバラ大学とは比べるべくもない、だれでも入学できる聖書塾にすぎなかった。入学試験は「あなたはどのように回心を経験したか」という、校長のマッグレガーの口頭試問ひとつのみ。

しかし、人格と信仰において、これ以上の人物はいない、と認めたチェンバーズは、そこで学びを受けることに決め、マッグレガーの全面的な信頼を得て、ほどなく、心理学や哲学を教える教師となった。エジンバラ大学で培われた広範で深い知識がキリストの福音を伝える道具として用いられたのである。

チェンバーズが聖霊の満たしを求め、自分にとって最も大切なものを主にささげようと決意したとき、最後まで葛藤した二つのことがあった。一つは前述した芸術への思い、もう一つは、長年の信仰の友であり、チェンバーズの最大の理解者であったクリッシー嬢との交友を断ち切ることであった。前者はともかく、後者については、事情を知らない人々からあらぬ噂を立てられ、非難を受け、チェンバーズは孤立したが、一切弁解せず、クリッシー嬢もチェンバーズの決断を尊重した。この四年の期間ほど苦しかったときはない、とチェンバーズは後年、述懐している。

しかし、この嵐を潜り抜けたチェンバーズには広い働きが待っていた。アメリカまでの船旅で九歳年下のガートルード・ホッブズ嬢に出会ったことがきっかけとなり、長い交際期間を経て結婚に至る。彼女にビディー(Biddy)という愛称をつけたのはチェンバーズである。姉と同じ名前で紛らわしいため、Beloved Disciple (「主が愛された弟子」)と名付け、その頭文字をとってB・D、すなわちビディーとしたのである。(ビディーもこの名前が気に入り、後年、チェンバーズの著作をまとめたときに、フルネームではなく、B・Dとだけ記すのを常とした。並外れた速記能力をもってビディーが記録したチェンバーズの講義や説教が、後にチェンバーズ著作集として刊行されることになるが、その代表作がMyUtmost for His Highestである。)

チェンバーズはイギリスで、またアメリカで出会った中田重治(日本ホーリネス教会の創立者)と意気投合し、その強い勧めを受け、一九〇六年、オハイオ州の聖書学校(God’s Bible School)で半年の間、教鞭を執った後日本に赴き、カウマン夫妻が設立した東京聖書学院を訪問し、中田重治の伝道を目の当たりにして、その感動を書き残している。

帰国後、チェンバーズはダヌーン・カレッジから祈祷連盟に移り、その後、ロンドン市内の重厚な建物にバイブル・トレーニング・カレッジ(Bible Training College,一九一一~一九一五年)を創設した。第一次世界大戦勃発のため、わずか四年で閉鎖となったが、その時のメッセージは、今も読み継がれ、世界に影響を与えている。

ちなみに、Bible Training College の頭文字をとってチェンバーズはBTCと呼ぶことが多かったが、その意味は、「Better Thingsto Come」(もっと良いことがこれから待っているよ)という意味だと言って、いたずらっぽく笑うことが多かったという。彼は、はるかかなたの将来を見据えていたに違いない。

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