323 時代を見る眼 病とともに生きる〈2〉私に与えられているもの

神学者/作家 ウォルター・ワンゲリン

 

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12・1)
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ステージ2-3B期との診断を受け、「冒険」に出た私。そう、「冒険」なのです。すべてが新しいことばかりだからです。週に一度の化学療法、毎日月曜から金曜日の放射線治療がついた冒険です。治療の2、3週目には髪が抜け始め、疲れも、頭痛もあります。ただ、まだ大学で講義をする余裕はありました。

私はまだ、平安の中でこの冒険を続けています。体の一部が失われていく中にあっても、旅の途上で神が与えてくださる祝福がありました。聖書にあるとおり、「自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続け」ているのです。

かならず「癒やし」はやってきます。それは肉体的な癒やし(心底それを望んでいますが)かもしれない。あるいは、この世界で存在しているがゆえの不安などで疲れた、私の魂の癒やしかもしれない。その二つの癒やしがあります。

主は語られました。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。……しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と(ルカ10・18、20)。やがてその方が最後に私の名前を呼び、「ここに来なさい」と語られます。そのとき、私はイザヤのように、「ここに私がおります」と答える者でありたいのです。

この私の冒険の旅は短いのか、長くなるのかはわかりません。ただわかっていることは、与えられた一日が時にはゆっくりと、時には早く進んでいくことです。どのくらいの日々が残っているのかは問題ではありません。今この時が私に与えられていること、そして家族がいて、コミュニティーがあること、それで私には十分なのです。
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岩であり、贖い主である主よ。私をさらに強くしてください。この世からの攻撃がどんなに長く、強く、痛みを伴っても、あなたのみこころがなされますように、と祈ります。勝利の歌をかかげて、家族と、コミュニティーと共に歩みます。