泣き笑いエッセイ コッチュだね! みことば編 第18回 自己憐憫よ、サヨウナラ!

朴栄子 著

 

「神の箱も、イスラエルも、ユダも仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。それなのに、私が家に帰り、食べたり飲んだりして、妻と寝るということができるでしょうか。あなたの前に、あなたのたましいの前に誓います。私は決してそのようなことをいたしません。」(Ⅱサムエル11・11)

ほとんど考えたことのなかった、ウリヤについて思いめぐらす機会がありました。マタイの福音書の系図を黙想していたとき、次のフレーズが引っかかったのです。
「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み」(マタイ1・6)

あれ、なんでウリヤ?と立ち止まったのです。彼はバテ・シェバの夫ですが、ソロモンの血筋には関係していません。ここは本来「ダビデがバテ・シェバによってソロモンを」となるべきではないでしょうか。

そういえば、ウリヤってどんな人だったかな。さらに思いを馳せてみました。

めっちゃ目立たない人。俗っぽく言うなら妻を寝取られた人。とばっちりで殺された、かわいそうな人……。どうもよろしくないイメージしか、思い浮かびません。けれども、彼は本当にみじめで不幸な人だったのでしょうか。

*    *    *

ある日、ダビデ王が屋上でぶらぶらしていると、眼下に美しい女性が沐浴している姿が見えました。調べさせると人妻だとわかりましたが、なんのその。すぐに呼び出して、関係を持ちました。その後、女性から妊娠したとの知らせが来ました。

あわてて策略を練り、夫のウリヤを戦場から呼び寄せて、戦況を尋ねた後、家でゆっくり休めと言います。夫婦関係を持ってくれさえすれば、この件は誤魔化せると踏んだのです。ところがなんと、彼は戦の最中だからと家には帰らず、他の家臣たちと王宮の入り口に寝ていたのです。冒頭のみことばのとおりです。

さらにもう一日滞在させ、今度は飲酒作戦を試みますが、それでも早々に辞して外で寝て、翌日戦場に戻されます。とうとうダビデは彼を最前線に配置させ、戦死させるのです。

*    *    *

改めてウリヤに注目してみて、気づいたことがあります。彼は自分をしっかり持っている。王の臣下として、兵士としての誇りがある。だから豪奢な王宮の入り口で、吹きっさらしのところに寝ても、へっちゃらです。

もし彼がこのような人ではなく、王からの贈り物や家に帰ってよいということばに、ホイホイと乗るような人だったら。画策どおり、妻と床をともにしていたら。生まれてくる子は夫婦の子ということにされ、ダビデの罪はもみ消されてしまう。

そうなったなら、多くの人の心を打つあの詩篇51篇(「ヒソプで私の罪を除いてください。……」)は生まれず、ダビデが砕かれた人として、さらなる祝福を受けることもなかった。また、バテ・シェバがダビデの妻になることもなく、ソロモン王の誕生もなかった。

そうです。ウリヤはみじめな人ではなく、神さまの配剤で、大きく用いられた人だったのです!
ウリヤという名前は「ヤハウェはわが光」という意味です。彼は主だけを畏れ、敬いました。神さまとの関係が揺るぎないものだったので、自己肯定感のとても高い人だったのです。だからこそ、このような行動が取れたのではないでしょうか。

「わたしってこんなに不幸」「なんでわたしだけ」「わたしほど辛い思いをした人はいない」このような自己憐憫は、用いられる人になることを邪魔する厄介者です。

オモニの認知症がどんどん進み、介助量が増えていったころ、悲劇のヒロイン病にとりつかれました。オモニを愛しているつもりでしたが、トイレの介助、着替え、食事の準備など、一つ一つが重荷でたまらず、なんでわたしがこんなことばかりと思ってしまったのです。

全財産をなくしたって、ボロボロの服を着ていたって、品性のある人の中身はそのままです。王にほめそやされてご馳走や贈り物をふるまわれなくたって、忠誠を誓った兵士の使命は変わりません。

今は日々の介護の中で、トイレでオモニと向かい合う時間がとても好きです。一緒に体操をしたり、お通じがあるのを喜んだり、パンツを替えたり。「こんなこと」がとても尊いルーティーンです。表情の乏しくなったオモニに変顔を見せて、声をあげて一緒に笑いながら、神さまの恵みの大きさを噛みしめています。

在日大韓基督教会・豊中第一復興教会担任牧師。1964年長崎市生まれの在日コリアン3世。
大学卒業後、キリスト教雑誌の編集に携わる。神学修士課程を修了後、2006年より現職。

*「コッチュ」は韓国語の「唐辛子」のこと。小さくてもピリリとしたいとの願いを込めて、「からし種」とかけています。