319 時代を見る眼 東日本大震災から10年を経て〈1〉10年を編む

盛岡みなみ教会 牧師/3・11いわて教会ネットワーク 大塚史明

 

震災10年。「あの日、3.11から」人生を軌道修正し、明確な区切りとなった方も多いのではないでしょうか。
かく言う私自身がそうなのです。私の人生は「あの日」を境に、鮮明に線引きがされています。
その線は、洗礼を受けたり、牧師になったりした境目よりも濃い色で引かれています。
思考も、生活も、価値観も変わりました。震災10年とは、被災地の10年を思うだけでなく、自分の10年をもよく見つめ直す機会だということに改めて気づかされています。
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震災支援の現場で耳にしたのは、
「生きる気力がなくて……」
「なぜあの人は死んで、自分が残されたのか」
「死んでいたほうが楽だった」
という声でした。
正解がわかればよいのですが、ただ聞くことしかできません。そして「また伺います」と約束をし、次にも同じ言葉を聞きます。
再会するたびに、そのことを繰り返してきたようにも思います。いまだに答えはわかりません。
けれど、ひとつ言えるのは、人間はまさに「問われる」存在であり、その問いに「生き方で応える」のがまた人間なのだということです。
災害を経験しました。理由はわかりません。過去にも戻れません。ただ、今、確かなのは「あなたは、これからどのように生きますか」という問いです。
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ある本に「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです」(平野啓一郎『マチネの終わりに』文藝春秋、2019年)という一文があります。
亡くなったいのちも、失った思い出も、築き上げた財産も、それまでの日々も二度と戻ってはきません。
しかし、そこからいかなる日々を編むかは、未来だけでなく、過去の自分や出来事を癒やしていく貴重な作業なのです。
震災10年。被災地を忘れず。また自分を忘れない人生を編む。
それが、震災とコロナ禍以降を生きる私たち人間への投げかけです。