泣き笑いエッセイ コッチュだね! みことば編 第15回 ちゃんと知られている

朴栄子 著

 

「主よ あなたは私を探り 知っておられます。
あなたは 私の座るのも立つのも知っておられ
遠くから私の思いを読み取られます。」
(詩篇139・1、2)

牧師家庭に生まれ育った性で、みことばや説教は子守歌のようなものでした。神さまの存在を疑ったことはありませんが、どんな話も新鮮に思えず、またかと思ってしまう生意気な子でした。

しかしわが家の変革は、長姉が高校生キャンプに行ってから起こりました。明確に信仰の決断をして、変わったのです。いわゆるボーンアゲインです。いやいやだった礼拝や夕拝にも、嬉々として出席し、大声で賛美するようになったのです。

そして次姉が翌年、それに続いたので、わたしも参加を申し出ました。ところがまだ中二だったので、断られてしまったのです。

ちょうど同じ時に大阪である集会が開かれ、誘われて行きました。説教者は、故・田中政男牧師でした。話し始めてしばらくすると、イエスさまの十字架を語り出されました。いつもの調子で斜に構えていましたが、このみことばが読まれると、心に刺さりました。

「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。」(ヘブル9・27~28)

続けてこう言われたのです。

実は今日、別のメッセージを準備していました。ところが控室にいると、十字架を語るように強く迫られるのです。今日は決起大会なので、クリスチャンたちを励ますメッセージをするつもりでしたが、どうしてもその思いが消えません。神さまは、ここに来ている百名の中に、たった一人でも救われていない人がいるなら、その人のために語りなさいと言われていると気づいたのです、と。
どれほど心が震えたかわかりますか。姉たちがうきうきとキャンプに出かけるのを見て、落ち込んでいたのです。置いてけぼりの気分で、周囲が熱く賛美する中、自分だけが冷めた気分で口さえ開けなかったのです。

百人の中の一人。それは、まさにわたし! 神さまはわたしを見ておられたのだ! 置いてけぼりどころか、ちゃんと覚えられ、知られていたのだ!

そうわかったとき、初めて字面ではなく、身体ごとわかったのです。自分が罪人であること、そんな者のために神さまは惜しまずにひとり子をお与えくださったことが。十字架がただのお話ではなく、ズンズンと迫ってきたのです。

わたしの献身は遅まきのほうで、大学院にも三十八歳で入りました。途中から加わった者にとって、全学年で百五十名弱の小さなコミュニティはアウェイ感いっぱい。一年目は特に、教員免許取得のため学部の授業にばかり出ていましたが、若い学生からは完全無視。居場所がないってこういうことかと、コンビニでたむろしている高校生の気持ちがちょっぴりわかった経験でした。

そんなとき、心にポッと灯りをともしてくれるような小さな出来事がありました。後に親しく交流させていただくことになる、ある先生との出会いです。アジア諸国、とくに韓国と深いかかわりをもってこられた著名な先生でした。

でも当時、先生は神学部の教授ではなく、新入りのわたしなどご存じないはずでしたが、出会うたびに会釈をすると、スマイルで「おっ!」というような表情をされるのです。儀礼的なものではなくて、毎回、あれっ? わたしのこと知ってるのかな?と驚くような目力。

機会があれば、ご本人に聞いてみたいのですが、おそらく覚えておられないと思います。学生をこよなく愛して、深い関心を寄せてこられたのでしょう。

誰でもよかった。世間をあっと言わせたかった。見返してやりたかった。
凶悪な事件を起こした犯人の口から、よく聞かれるコメントです。それは裏を返せば、愛されたかったという切実な叫びです。

みんなから注目されなくてもよいのです。たったひとり、まるごとわかって受け止めてくれる存在がある。何もかも、自分自身でさえ把握できないことすらわかってくれる。世界中から非難されるときですら、そうではないと言ってくれる。それさえわかれば、胸を張って生きていける。そう信じています。

 

在日大韓基督教会・豊中第一復興教会担任牧師。1964年長崎市生まれの在日コリアン3世。
大学卒業後、キリスト教雑誌の編集に携わる。神学修士課程を修了後、2006年より現職。

*「コッチュ」は韓国語の「唐辛子」のこと。小さくてもピリリとしたいとの願いを込めて、「からし種」とかけています。