書評Books みことばそのものから糧を得る

翻訳家 中村佐知

『マタイの福音書 365の黙想と祈り』
篠原 明 著
B6判 1,400円+税
いのちのことば社

みことばを黙想する―。よく聞くフレーズですが、実際にはどのようにしたらいいのでしょうか。ディボーションをするとき、スポルジョンの『朝ごとに』(いのちのことば社)のような定評あるディボーション用の本を読み、著者の解説や洞察から気づきを得る、ということが少なくないかもしれません。そこには確かに豊かな恵みがあり、大いに養われます。しかし自分でみことばを黙想しているというより、他人が黙想したものをおすそ分けしてもらっている感じでもあります。

篠原明先生によるこの手引書は、従来のものとは違い、解説はごく短くシンプルです。先生はその理由をこう説明します。「みことば自体をじっくり味わい、そこから自分で霊的糧を得ることをひたすら目指しているからです。解説はそのための呼び水に過ぎません」。本書はいわば、シェフによって調理済みのものをいただくのではなく、素材を自ら調理して味わうためのものだと言えるでしょうか。

本書はその簡潔さにより、みことばを読むときの私たちが直接主の前に出られるよう、十分な内的スペースを確保してくれます。そして「生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭い」(ヘブル四・一二参照)神のことばの前に出て、それに向かって自分を開き、そこから主の語りかけをいただくことを期待するようにと励ましてくれます。さらに、語られたことに対して、祈りをもって応答することを促してくれます。そこには、私たちがみことばを読むとき、主はその場におられ、私たちと双方向の関係を持ってくださるお方だという信頼と確信があります。

本書は、個人の黙想にとどまらず、黙想で得た気づきをほかの人と分かち合うことも勧めています。みことばとはそもそも個人に与えられたものではなく、共同体に与えられたものでした。各人に個人的に与えられた恵みも、互いに分かち合うとき、それは共同体全体への恵みとなり、共同体として主に応答していくことができるのではないでしょうか。