泣き笑いエッセイ コッチュだね! 第8回 SNSと黒船

#更年期 #うつ #親の介護 #教会のピンチ #牧師の孤独 #みことばの黙想 #おひとりさま #トンネルを抜ける #オトナの坂道 

朴栄子 著

 

今年の春はいったいどこへ行ったのでしょう。気がつけば大阪では三十度の夏日。誰もがコロナウイルスの影響を受けた日々でした。
その渦中で気になったことは、ネットの情報、特にSNSのことです。コロナ関連の情報が飛び交う中、さまざまなものが送られてきました。いわゆるチェーンメールのたぐい、眉唾ものもたくさんありました。

普段あまり親しくやりとりをしていない人からも、どんどん送られてきて、みんな不安なのだと思いました。SNSはいまや情報発信、自己表現、連絡手段としても座を占め、スマホユーザーで使わない人は皆無でしょう。

かくいうわたしも実は数年間、Facebookのヘビーユーザーでした。もともと書くことが大好きなので、投稿に反応があるとハマりました。あっという間に〝友だち〟は五百名を超え、そうすると不自由さを感じ始めました。

あれほど楽しみに週五日はログインしていたのに、気分がふさぎがちになると、ちっとも面白くなくなりました。

本当の友人ならば、うれしいことだけでなく、辛いことも分かち合えるはずですが、SNSはあくまでも仮想現実の空間。悲しいことや苦しいことを投稿し、慰めてもらうことも可能ですが、概して明るく元気な話題にあふれているので、そうではないときはスーッとフェードアウトするしかないのです。

「SNSが流行って、人々はどこに行った、こんなものを食べたと幸せ自慢をするようになった。そういったネタがない人は、幸せそうな自分を見せようとして、わざわざ出かけたり、時には嘘の投稿をしたりもする。これは現代の病理だ」

これは、精神科医の香山リカさんの講演で聞いたことばです。そのときは、そんなことがあるのかなと思っていましたが、後でうなずけるようになりました。

もう一つ、最近興味深い情報を目にしました。ある異色のカリスマ経営者が従業員に口を酸っぱくして言っていることがあるそうです。それは、「SNSを見るな!」。理由は「他人の人生を見ても何も変わらないから」。彼自身のインスタグラムのフォロワーは五百万人を超えていますが、発信するだけで人のものは見ない。人をうらやむだけで、ハングリー精神がなくなるからだそうです。

誰でも気軽に世界中に発信ができる代わりに、あふれる情報のなかで真偽を確かめ、自分と人を傷つけることのないよう注意しなければならない。いわゆるメディアリテラシーが基本的に必要とされる時代です。その危険性やマイナス面を十分に知った上で、特にコロナ時代には、上手に活用できたらと思います。
多くの教会が一定期間、集まることができなくなり、ネット配信を余儀なくされました。わたしたちの教会は少数なので、間隔を開けながら、なんとか集まり続けましたが、配信も開始しました。

教会の大部分がネットデビューしたのです。これをある牧師は第二の宗教改革、またペンテコステに匹敵すると表現しました。わたしの感覚では黒船来航みたいな、新しい時代の予感です。

この期間に、多くのよいものもシェアされました。COVID-19に罹患して隔離された状態で神さまの配慮を経験し生還した牧師の証し、世界各国のクリスチャンの「ホザナ!」の歌声を集めて、まるで一か所にいるようなハーモニーの賛美、グローバルで熱い祈りの集いに参加することもできました。

わたしのLINEには祈りの仲間、同じ立場で励まし合える交わり、同窓生、教団の委員会、親戚などなど多くのグループがあります。仕事でもプライベートでも、滅多に会えない人や、感染防止のために集まれない状況を埋めてくれるツールです。

礼拝の動画を見た友人からは、敷居が低くていいという感想をもらいました。教会の扉を開けて中まで入る勇気はなくても、どんなことをしているのか知りたいという人はいるのです。

仮想現実にひたってカタルシスを得るのは卒業!

これからはこの時代の黒船を、上手に操縦しながら、神さまのみ国を拡大していきたい。特に感染の不安とともに生きる世界に向けて、多くの方々に平安の種を蒔いていきたいと願います。

「まことに主は 渇いたたましいを満ち足らせ╱飢えたたましいを良いもので満たされた」(詩篇107・9)

在日大韓基督教会・豊中第一復興教会担任牧師。1964年長崎市生まれの在日コリアン3世。
大学卒業後、キリスト教雑誌の編集に携わる。神学修士課程を修了後、2006年より現職。

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