308 時代を見る眼 和解と教会 〔1〕 平壌への謝罪の巡礼

和解と教会 〔1〕 平壌への謝罪の巡礼

日本キリスト教協議会 総幹事 金性済

 

日韓関係が戦後最悪といわれる中、また朝鮮民主主義人民共和国との間でいまだに国交もない中で、隣国日本のキリスト者の課題は何でしょうか。
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2019年7月27日から8月1日にかけて、私はNCC(日本キリスト教協議会)総幹事として、NCC東アジアの和解と平和委員会委員方と、在日大韓基督教会の代表者とともに、平壌の朝鮮基督教連盟とボンス教会主日礼拝を訪問しました。
その契機となったのは、2019年2月中旬、長年日本のキリスト教会の戦争責任を信仰と神学の課題として追究してこられた90歳を超えるひとりのご高齢の牧師からの相談でした。

 

「日本の教会は、1967年以降、韓国に対しては繰り返し訪問し、植民地支配に対する謝罪をしてきたけれど、(北)朝鮮に対しては不十分なのです」と。そこで、NCC総幹事として朝鮮のキリスト教会に対して謝罪の旅を計画してほしい、ということだったのです。
意表を突く依頼を受け、私は当惑しましたが、期せずして、平壌訪問を計画していた在日大韓基督教会責任者からも同行のお誘いがあり、二つの訪問計画を合体させる形で準備が進められていくことになりました。
7月29日、携えられた謝罪文はボンス教会での主日礼拝時間に日本人参加者たちによって日本語で朗読され、私が朝鮮語に通訳しました。私たちは朗読後も、礼拝堂退場の際も、300名を超える会衆から万雷の拍手を受けました。

しかし、礼拝堂を出ると、信徒方が追いかけて来て、私たちを取り巻き、謝罪文のコピーを求めたのです。私は何枚も準備してあったコピーをすべて差し上げてしまいました。そのような行為を、私たちを案内する随行員が遮ることもありませんでした。
私はそのときの体験の意味を、しみじみと思いめぐらしてみました。朝鮮の人々は「日本の人々は何を考えているのか」と深く大きな関心を抱いておられた、ということを感慨深く考えさせられたのです。

「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、」
(エペソ2・14)

この福音の真理によって聖霊に導かれ、その日、自分がその場に導き入れられたことを、私は深く心にかみしめることができました。