特集 人生の選択に迷うとき

さまざまな場面で生じる「こんなときどうしたらいいの」という疑問。“神とともに決める”とは、一体どういうことなのだろうか。

好評発売中
人生の選択に迷うとき
悩めるクリスチャン
のための指針
ジン・ジェヒョク 著/松田悦子 訳
四六判 304頁 定価1,600円+税

「どうするか」より「どうあるか」
常盤台バプテスト教会 主任牧師 友納靖史

「ジン牧師、地球村教会牧師を辞し、アフリカ・ケニアへ宣教師となる決意を表明!」。この書評を書き終える直前、ニュースが飛び込んできました。一瞬驚きましたが、完読していた私には、ジン牧師が主にある人生の計画に従う道に導かれたことを思い、忘れかけていた熱い何かが私の中に湧きあふれてきました。

タイトルを見ると、世に言う“ハウツー本”なのか……と思い、正直、一瞬手に取るのをためらわれるかもしれません。確かにキリスト教について学び始めたばかりの方へ、人生で直面する課題に対して、福音はどのように答えようとしているかを知る、入門書ともなるでしょう。しかし、この本を読み終えたとき、人生の課題と真摯に向き合ったゆえに、苦悩し、疲れ、つまずいておられる方、またそのような隣人とともに歩み、牧会ケアと全人的な霊的ケアに携わる専門家にも薦めたくなる一冊となりました。十二章に及ぶ人生の諸課題を取り扱ったこの本は、Doing、つまりハウツー:How to do〈どのようにするか〉を学ぶ目的で書かれたものではなく、読者自身がまず神の前に、How to be〈どうある(being 存在する・believing 信じる)か〉について書かれていると気づかされます。

聖書に長く触れていながら、曖昧なままにしがちな信仰の課題トップ(?)十二がここには選ばれています。聖書の真理は一つですが、個々の信仰生活への解釈はそれぞれ異なっており、対象者によって答え方、ケアの仕方が違うこともあり、キリスト者として、本当にそれでいいのだろうかと私自身も悩むことが多々ありました。しかし、この本の各章から、不完全で曖昧な者であるからこそ悩み、聖霊の導きに頼り祈る、謙虚な信仰姿勢が培われる、またそれだからこそ、今も生きて働かれる全能なる主と出会う恵みに与るチャンスになると語られます。
多くのキリスト教倫理や信仰生活の良書がありますが、白か黒か、二者択一を迫る指南書とは少しこの本は違っていました。頭では信仰を理解しながら、それでも選ぶことができない曖昧な自分自身の弱さを恥じて、神から、教会から離れてしまうことがあります。しかし、そうではなく、その弱き存在を憐れみ、それでも聖霊なる神によって導いてくださることを徹底して信頼し、互いに祈り合いつつ歩む豊かさこそが、神より教会へ託された使命であると、改めて思い起こさせられました。

この本は、大きく三つのセクションに分けられます。第一は「人間関係」で、これまでキリスト者でさえも曖昧になっていた恋愛観や、夫婦や子との関係性から生じる問いを深く掘り下げたもの。第二は「日常生活」で、日々直面する、聖と俗をどう区別するか、苦難とは、真のビジョンとは、成功や幸福にまつわる真実の意味が問われます。最後に「信仰生活」で曖昧だった用語、神の御心とは、信仰が深いとは、そして、神に答えられる祈りとは、にスポットが当てられます。各章で語られる数々の例話には笑いと感動があり、この本を小さな集会等で分かち合うとき、違いを越え神の前に一つとされる喜びも育まれるに違いありません。

特に第九章「何が神の御心か」を読み、キリスト者でありながらも、その時々の感情や環境に左右され、神秘体験やしるしを希求する信仰姿勢の危うさがあることに、私自身ハッとさせられました。これまで韓国を訪問したことは十数回に及び、出会った韓国の尊敬すべき牧師、キリスト者の方々からいただいた信仰の恵みは計り知れません。しかし、韓国という土壌で培われ、成長したキリスト教が、シャーマニズム的な異なる霊性に影響を受けてきたことも少なくないと知らされてきました。しかしこの本には、ジン牧師が韓国文化の土壌で育まれた独特な信仰姿勢や、さらに米国等での牧会経験から来るアメリカ的キリスト教からも決別し、イエス・キリストの福音の原点に立ち返るみちしるべが、文章の随所に証しされています。

これまでの成功思考・上昇志向的な信仰成長の指南書とは異なり、人生の課題を抱え、信仰に疲れ、弱り、つまずいていても、主イエスの苦難と十字架に示された偉大な神の愛とに目を注ぐとき、尽きることのない平安と救いとが、神より注がれる希望がここには貫かれています。
近年、かつて増加を続けた韓国プロテスタントの成長が止まり、カトリックへ転向する人々が増えていると聞き及んでいました。その原因の一つに、多くのプロテスタント教会がこれまで、伝道・奉仕・祈り(doing)に熱心なあまり、ただ静まって神の御前にある・存在する(being)喜びが疎かにされ、たましいの渇きを覚えていた人々が多くいたことがあります。静かに黙して祈り、そこから信仰の働きへと聖霊に押し出される生活に安らぎを求めていったのも要因の一つであると知りました。多くの韓国教会のように、叫び祈る祈祷院の存在も確かに大切ですが、地球村教会では静かに祈ることもできる、Pilgrim’s House(巡礼の家)が建てられています。ここには英国人ジョン・バニアンの名著『天路歴程(The Pilgrim’s Progress)』の主人公クリスチャンが天を目指して旅する行程がモニュメントで再現され、自らの人生と重ね、黙想し、神とともにある人生の喜び(霊性)を深め養う場とされているのです。この教会が、プロテスタント教会では決して多くはない「黙想」を取り入れた信仰生活を通して、バランスよく主なる神との関係を深めていることを知り、長く消えかけていた韓国教会再訪への興味が呼び覚まされました。

ケニアの宣教へと再び赴く決意に至るまで、ジン牧師もきっと、人生の選択に迷い、悩み、祈られたに違いありません。主に与えられた十字架を喜んで担う人生を選び取った、あのヘンリ・ナウエンのように、主が今、ジン牧師を神の器として用いられておられるように感じるのは、私だけではないでしょう。人生に投げかけられるさまざまなチャレンジを恐れず、これからも悩み、主の御言葉と主の時を待ち望み、そして大胆に主に従う者の一人としてくださいと、私も祈らされています。この本、そしてジン・ジェヒョク牧師との出会いを主に感謝します。