特集 児童文学と聖書の世界 『ライオンと魔女』と『雪の女王』から

C・S・ルイス研究家
法政大学兼任講師 堀いづみ

二年前の冬、北欧の北極圏の香水に出会いました。それは澄んでいると同時にどこか温かみのある香りがしました―橙色のベリーの実の微笑を思わせるような。
ところが、入れ物の箱には「強く、誇り高く、魅力的な女性のために」と書かれており、そこから真っ先に私が思い浮かべたのはC・S・ルイス作『ナルニア国年代記物語』に登場する魔女だったのです。全てを支配しようとする、美しいが邪悪な魔女。それは調香師の意図するイメージではない、元気な女性はいいではないか、と頭ではわかりつつも、書かれた言葉の否定的な側面に引っ張られ、その香りに対して複雑な違和感を持ってしまいました。現実世界の物事にも介入する物語の力を改めて実感した出来事でした。

その魔女は、『ライオンと魔女』という本の中ではナルニアという国を支配し、そこをクリスマスの来ない冬の世界に閉じ込めています。生き物を石に変えることもできる、「死」や「悪」の性質を読者に味わわせる存在です。
そして次に私の脳裏をよぎった人物が、H・C・アンデルセンの『雪の女王』に登場する雪の女王でした。この美しい女王もまた氷のように冷たい支配者で、「悪」がいかに世界を歪めるかを読者に体験させる存在です。両者とも人間(悪い側面が優位になった人)ではなく、純粋に「悪」のみで構成された存在で、子どもを襲います。
それでも、子どもの頃に本の中で邪悪な登場人物に出会うのは悪くないと思います。この世には避けられない陰の部分があるのだと子ども心にもどこかで知っていて、真理を語る物語の中で陰の部分を体験することは、心の現実に向き合うことにもつながりうるからです。
しかし物語は続き、冬の世界は話が展開するにつれて変化します。『ライオンと魔女』では、凍っていては聞こえるはずのない川のせせらぎ、草花の復活や小鳥たちの音楽など、刻一刻と調子が変わり、また魔女に支配されていた少年、エドマンドの心にも残酷な魔女側についたことへの後悔が目覚め始めます。次第に魔女の勢力が弱まるこの変化の背後にはどんな力が働いているのかというと、黄金に輝くライオン、アスランの到来があるのです。しかもアスランは、自らの命を犠牲にし、蘇ることでエドマンドを助け、ナルニアを魔女の支配から解放します。
『雪の女王』でも少年、カイの心を女王の支配から救う少女、ゲルダがいます。ゲルダは氷の塊のようになったカイの心を回復させます。周りの者に助けられながら常にゲルダの長い旅を支え続けたのは信仰、希望そして愛です。

闇と光の対照が鮮やかで、下降した筋が再上昇するこれらの物語が何を映し出しているのかというと、それは実際に起こったキリストの物語です。人間と和解するために神が人となり、自らの命を犠牲にし、そして蘇ったという、物語の大本ともいえる出来事です。アスランと共にいると、キリストと共にいることがどのようなことなのかが映し出され、ゲルダと一緒に旅をすると、心に純粋さが甦ります。そして人生の真冬に春の訪れを心に描けることに気づいたりします。
しかし、そうしたことの重要性は私の場合は大人になってからはっきりと認識したことで、子どもの頃は主に物語の雰囲気にとても惹かれていました。そしてそうしたケースは少なくないのではないかと思います。そのようなことから、幼い人たちに読み聞かせるときは、あまり分析的に物語の成分を単離して、「これはこういう意味」―例えば「アスランの行為はキリストの贖罪行為に相当」―と言い切ってしまうのは少し性急であるような気もしてくるのです。(もっともこれは、聖書の話をすでに聞いている子どもたちは言われる前に気づいてしまうことかもしれませんが。)今に至るまで私の心を魅了し続ける、絵も含めた作品全体の独特な「雰囲気」には、侮れないものがあると思っています。知性というよりは想像力の領域で、あるいは心のとても深い部分で物語を一緒に体験し、後はその思い出を豊かな時間の中に委ねてみてはどうでしょうか。聞いたことがどのように発芽するかは計り知れず、人生の所々で自分にとって一番よいタイミングで何かがわかると楽しいものです。

ところで、つい最近北欧の北極圏に多く住む先住民族、サーミ人についての話を聞きました。サーミ人は、過酷な気候におけるトナカイ遊牧に加え、差別を受け、好奇の目にさらされてきた歴史を持つこともあり、とても強い人であるように教育されていることを知りました。そして民族の誇りを取り戻しつつあるということも。その話を聞いたときに、二年前に出会った香水に対して私がかけられていた魔法が解けたのです。箱の上の言葉がサーミの人と重なり、言葉と香りが一致し、香りに対する心地よい印象が戻りました―ベリーの微笑の復活です。同じものが、新しい物語が重なることで以前とは違ったものに感じられるというのは本当に不思議なことです。
不思議といえば、最後にもう一つの作品、装いも新たに登場したアンジェラ・E・ハントの語りによる『3本の木』について。木製の道具を手に、「これは何の木から?」と問うことはありますか。これは、「私は何になる?」という木々の問いの絵本です。この木々の密かな物語にも、新たな物語(キリストの物語)が重ねられることにより、まったく別の様相が表れてくる不思議さが描かれているのです。物語との出会いは、いつでも侮れないものです。