あたたかい生命と温かいいのち 第十一回 今日から、みんなに優しくします

頬にあたる風が冷たくなると、クリスマスのことに思いを馳せます。私の場合、少し変わっているのは、同時に夏のキャンプのことも思い出してしまうことです。止揚学園では毎年滋賀県北小松の琵琶湖畔にある日本聖公会京都復活教会の研修所でキャンプをします。
研修所はウィリアム・メレル・ヴォーリズによって建てられたそうです。中央の広間には立派な暖炉があります。
日本の生活様式で育ってきた私たちにとって暖炉は絵本のように、夢のような印象を与えてくれます。

「サンタクロースさん、煙突から降りてくるかな」
水着に着替えた知能に重い障がいをもつ仲間たちの声が聞こえてきました。
「クリスマスにはまだ早いよ」
松林の間を抜けると、琵琶湖が美しい水を湛えて仲間たちの目前に広がっていました。
その年のキャンプは研修所の道具をお借りして、バーベキューをしました。仲間たちが楽しみにしていることの一つは、食材の買い出しです。今晩は何を網で焼こうかと、店の中を探し回るのです。秋刀魚が「新物」とシールを貼られ並んでいました。炭火で焼かれ香ばしい香りを放つ秋刀魚の美味しさに仲間たちは大満足でした。この班は、グループごとに順番に出掛けたキャンプの最終の班でした。この班の頃には夜の心地よい涼しい風に、秋の気配さえ感じられました。次の日は車に乗り、福井県の敦賀に向かって出発しました。
敦賀は一九四〇年から四一年にかけてユダヤ人難民が上陸した日本で唯一の港町です。難民が上陸した際の資料を展示する博物館「敦賀ムゼウム」があり、ユダヤの人々の町での様子を記述したエピソードの数々を読むことができました。
私は一つ一つ、仲間たちにもわかるよう説明しました。
ユダヤの人たちは住む所がなかったので、困っていました。時化の続く冬の寒い日本海を船に揺られながら敦賀までやってきました。敦賀の人たちは初めて見るユダヤの人たちを温かく迎えたそうです。お腹もすかせていたのでリンゴを手渡し、お風呂も用意してあげました。ユダヤの人たちは生命からがら逃れてきたので、心から安心して休むことができ、希望が湧いてきたそうです。
皆に話をしているうちに、年を重ねた一人の女性が赤い服を着て街中を歩いていたという記述にいきあたりました。日本人は当時そのような原色を着ることがなかったので、子ども心に記憶に残っていたというエピソードです。
人が人に生きている意味がないといって生命を奪おうとする苦しく、悲しい状況からの脱出でした。敦賀の地にて、ひとときの安らぎを得られたのかもしれません。私は、身体一つで、手に何の荷物も持たず、黙々と歩き続ける年を重ねた女性が、暗い服装ではなく、原色の真っ赤な服を着ていたことに、生命そのものが一瞬の明るさを取りもどしたような印象をもっています。しかし、今日も、人の生命は人によって奪われ続けています。この現実に、生命の儚さ、生きていくことの苦悩に、心を圧せられてしまいます。そんな私のことを知ってか知らずか、障がいをもつ仲間たちはどこまでも明るく、自分たちも敦賀の人たちと同じようにしようと、笑顔で言ってくれたのです。
「今日から、みんなに優しくします」
すべての生命を素直に優しく見つめる眼差しが、ここに確かにあり、その眼差しが私に向けられたとき、再び希望が胸にあふれてきました。
敦賀から鉄道で各地へと旅立って行かれたユダヤの人々は、特別に難民用の車輌が用意されたわけでなく、一般車輌に乗って行かれたそうです。私たちは今日電車に乗っていて隣に座っている方のことを知るよしもありません。しかし、人はそれぞれに深く、尊い歩みを背負っています。

季節は巡りました。しかしキャンプのとき「今日から、みんなに優しくします」と言ってくれた仲間の笑顔は心に残っています。それが「今日も、」でも「今日こそは、」でもなく、「今日から」だったからこそ、日々新たに暖炉に薪がくべられるように、私の心は毎日励まされ「共に」の歩みを一歩前進させていくことができます。この一歩に未来への不安はありません。今日この時、神様が守ってくださいますことへの感謝があります。
仲間たちは一年を通して、心の暖炉に薪をくべてくれます。この暖炉が最も温かくなったとき、みんなの心が優しさで満ちあふれたとき、気がつけばクリスマスがもうそこまでやってきているのです。