あたたかい生命と 温かいいのち 第六回 大丈夫です。心配することはないですよ

今年は止揚学園の職員の子どもたちから小学校、中学校、高等学校と、それぞれに新一年生が誕生しました。入学式の日には子どもたちが、知能に重い障がいを持つ仲間たちのところに来て、元気に挨拶し、仲間たちはうれしそうに笑顔で送り出してくれました。
季節はめぐり、新一年生たちは新しいランドセルや制服にも馴染んできたようです。歩く姿も軽やかです。私はそんな子どもたちの通学景色を窓から眺めていました。
止揚学園の前の道は、私が子どものころは砂利道でした。車が通ると砂ぼこりがあがりました。私たちもこの道を毎朝通いました。そのときには、砂利を靴で擦りながら、わざと砂ぼこりを立てました。
私たちというのは、止揚学園の障がいをもつ仲間たちも一緒ということです。いまから四十五年ほど前の話です。当時私は町の保育園、仲間たちは小学校に通っていました。
保育園と小学校は同じ場所にあり、そこに行く道は二とおりあって、私たちは毎朝競争することにしていました。
「純奈ちゃんたちはこっち、ぼくはこっちの道を行くからね。」 いくら走りたくても、走ってはいけないというルールも決めました。しかし私は、純奈さんたちが進んでいき見えなくなると、一目散に走り始めるのです。そして先に着いて、みんなが早歩きでやってくるところを向こうに見つけるのです。
「純奈ちゃんたち、遅いな」
「るーちゃん、本当に速いな」(当時私は「るーちゃん」と呼ばれていました。)
純奈さんは毎朝決まって私のことを褒めてくれるのでした。私は褒められることがうれしくて、走ることをやめられなかったのです。今思うと純奈さんは競争することより、私の喜ぶ顔を見ることのほうがうれしかったのかもしれません。
その止揚学園の前の道を通ってたくさんの方々が訪ねて来られます。先日、障がいをもつこの子と、これから、どのように生きていけばよいですかと、疲れたように一人のお母さんが来られました。私は「心はいつも一緒です」と精いっぱいお答えさせていただきました。最後に、お母さんのお疲れになったお気持ちを少しでも和らげてあげたいと思ったのです。
(大丈夫です。心配することはないですよ)
この言葉はそこまで出かかり、声にならないのです。
私は、お子さんが成長していく過程において、親子が選択し、これから立ち向かっていかなければならないさまざまな事ごとを思うと、言葉を失うのです。
お子さんが就学する年齢になり、ご両親が町の学校に通わすことを選ばれたら、学芸会などみんなと動きを合わせなければならないとき、例えば笛が吹けなかったとしても、少しテンポを遅くしてみんなと一緒に演奏ができるよう、生徒を導いてくれる先生に出会えますように……と願い祈るのです。
ほんの少しの心の分け合いでいいのです。大切なのは純奈さんのときの競争のように、結果ではなく、心を合わせようとする思いを諦めないことです。
知能に重い障がいをもつ仲間たちとの現在、皆は年を重ね、学校に通うことは昔日のこととなりました。
それでも私たちは心を合わせようとする思いを諦めません。なぜなら、仲間たちとともに歩む日々はこれからも続き、神様のところに皆で帰っていこうという理想が今日も希望とともにあるからです。
今年も近くの町のお祭りに皆で出かけていきました。お祭りでは短冊型の細長い赤い紙が幾重にも重なり、風になびきます。風に吹かれ皆の笑顔も輝きます。去年も、その前の年も、もっと前の私たちが子どもだったころも同じ場所にみんなの笑顔がありました。当時は止揚学園の前の道に車を連ね、ウキウキとした気分を乗せ、砂ぼこりを立て出発しました。笑顔はいつも変わりません。いったい時間は巡っているのだろうかと錯覚してしまいます。
人はいつも未来のことを考え悩み不安になります。止揚学園の仲間たちは神様から与えられたその時を感謝し、愛します。神様は悩みや心配事を忘れさせてくださるのでなく、それ以上にみんなを優しく包み込んでくださるのです。
仲間たちの見えない言葉が、神様の優しい光に包まれていることを教えてくれるかぎり、
「大丈夫です。心配することはないですよ」
私は、その言葉を力強く語れることに気づかされるのです。玄関を出られようとするお母さんとお子さんへのその思いが、初めて声になるのです。
振り返られたお二人の笑顔の輝きが今もこの道に残っています。