連載 恵みの軌跡 第七回 ホスピスでの学び

柏木 哲夫
一九六五年、大阪大学医学部卒業。ワシントン大学に留学し、アメリカ精神医学の研修を積む。一九七二年に帰国し、淀川キリスト教病院に精神神経科を開設。翌年日本で初めてのホスピスプログラムをスタート。一九九四年日米医学功労賞、一九九八年朝日社会福祉賞、二〇〇四年保健文化賞を受賞。日本メノナイト ブレザレン石橋キリスト教会会員。

一九八四年四月九日、専用病棟でのホスピスケアがスタートしました。一九七三年に無床でスタートしたホスピスプログラムから十一年が経過していました。一般病棟で診ていた四名の患者さんを迎えて、二人の医師、十七名の看護師で診療が始まりました。患者さんは次第に増え、一年間で七十九名を看取りました。先日(二〇一六年二月六日)ホスピスの家族会がありました。三十二年間に看取った患者さんは約七、〇〇〇名です。毎年二二〇名、毎月一八名、一・七日に一人の看取りをしたことになります。私自身は約二、五〇〇名の看取りをしました。
この三十二年間に、私は実にたくさんのことを患者さんとご家族から学びました。多くの学びの中で最も大切なことは、人は全人的に痛むということです。ホスピス運動の誕生に当たって重要な役割を果たしたシシリー・ソンダース先生は「Total Pain―全人的痛み」と呼んでいます。
多くの患者さんは身体的痛みを訴え、これをコントロールすることは、ホスピスケアの中で重要なことです。
次に精神的痛みがあります。不安やいらだち、恐れやうつ状態などです。スタッフが十分な時間をかけて患者さんの訴えに耳を傾けることが大切です。時には抗不安薬や抗うつ剤の投与が必要になる場合もあります。
社会的痛みもあります。仕事上の問題、家庭内の人間関係の問題、時には遺産相続が問題になることもあります。
もう一つの痛みはスピリチュアルペインと呼ばれるもので、「魂の痛み」ともいえます。死への恐怖、価値観の問題、生きる意味、人生の振り返り、病気の意味などに関する痛みです。

このように多彩な痛みを持つ患者のケアに必要なのは、チームアプローチです。
Total Painの中で最も難しいのはスピリチュアルケア(魂のケア)で、時にはスタッフの全人格の投入が必要になります。身体的痛みのコントロール法はマニュアル化できますが、スピリチュアルケアのマニュアル化は不可能です。徹底的にその人に寄りそう姿勢が要求されます。
スピリチュアルケアの一例を挙げてみます。二十五歳の男性患者です。睾丸の悪性腫瘍が全身に転移し、痛みと全身倦怠感が強くなり、ホスピスへ入院となりました。痛みはモルヒネでうまくコントロールできましたが、次第に病状が進み、彼は残り時間が短いことを体で感じるようになりました。口数が少なくなり、表情も暗く、気分も沈みがちになりました。
そんなある日の回診のとき、彼はいつもより緊張気味でした。体の診察を終えて椅子に座った私をじっと見つめて、絞り出すような声で、「先生、僕まだ二十五歳なんです。なぜ、こんなに若くて死ななければならないんですか!」と言いました。私はどう答えてよいか分からず、彼の悲しそうな顔をじっと見ていました。彼のつらさや、やるせなさが伝わってきました。熱いものが込み上げてきて、私はやっと「二十五歳って、若いよなあ……」と言いました。同時に思わず、涙を一粒こぼしました。私はそれ以上、彼のそばにいられなくなって、「これからもしっかり診ていくからね」と言って、病室を出ました。
次の日、病室に行くと、彼の表情がとても明るくなっていました。そして、一言、「先生、昨日泣いてくれたよね。うれしかった」と言いました。それから十日後、彼は静かに旅立ちました。
「なぜ、こんなに若くて死ななければならないのか」という質問は、「魂の叫び」といってもよいでしょう。「私の人生は何だったのでしょう」という問いかけも、魂から出ています。スピリチュアルペインに関する質問には共通の特徴があります。それは、答えられない質問だということです。周りの者にできることは、そういう痛みを持っている人に寄りそうことです。
ホスピスがスタートしたとき、ホスピスの目的を短くまとめた文を考えました。それは、「その人がその人らしい人生を全うするのを支える」でした。「その人らしさ」を支えることはとても大切です。人生の総決算の仕方には個性が反映します。「らしさ」の尊重は、ホスピスケアの真髄だと思います。確かに支えることは大切です。痛みが強い人は適切な鎮痛法で支えることが重要です。
ホスピスで仕事を続けているうちに、ホスピスケアの中心は支えることではなく、寄りそうことではないかと思い始めました。「支える」と「寄りそう」は違います。「支える」は下からで、「寄りそう」は横からです。支えるためには技術(たとえば鎮痛剤の使い方)が必要ですが、寄りそうためには人間力が必要です。支えるには技術の提供が必要ですが、寄りそうためには人間そのものの提供が必要です。前述の患者さんの場合、入院当初は痛みのコントロールのために技術の提供が必要でしたが、それ以後は寄りそうこと、すなわち、私という人間そのものの提供が必要でした。今では、ホスピスの目的は「その人がその人らしい人生を全うできるように寄りそうこと」ではないかと思っています。
ホスピスで学んだもう一つの大切なことは、「人は生きてきたように死んでいく」ということです。その人の生き様が死に様に反映するということです。周りに感謝して生きてきた人は、家族やスタッフに感謝しながら亡くなります。周りに不平を言いながら生きてきた人は、家族やスタッフに不平を言いながら亡くなります。その意味では、良き死を死すためには良き生を生きることが大切になります。言い換えれば、良き生を生きれば良き死を死することができるということです。良き死とは、苦しくない死、孤独でない死、平安な死だと私は思います。良き生とは感謝の生ではないかと思います。周りの人々に感謝しながら生きてきた人は、周りから「ありがとう」という声をかけてもらいながら旅立てます。
私にとってホスピスは学びの場でした。患者さんやご家族から実にたくさんのことを学びました。その中でも、人生で最も大切なことは「感謝のこころ」であるという学びは、私のこれからの人生の大きな支えであると思っています。