連載 豊かな信仰を目指して 第五回 甘えと神さまイメージ―自立的信仰を目指して

河村 従彦

札幌で生まれ、東京で育つ。慶應義塾大学文学部卒業、フランス文学専攻。インマヌエル聖宣神学院卒業、牧師として配属される。アズベリー・セオロジカル・セミナリー修了、神学、宣教学専攻。牧会しながら、ルーテル学院大学大学院総合人間学研究科臨床心理学専攻修士課程修了。東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科人間科学専攻博士後期課程単位取得後退学。博士(人間科学)。現在はイムマヌエル聖宣神学院院長。牧師・臨床心理士。

幼少期に適切な愛着関係の中で甘えを経験することは、その後の健康的な発達に意味を持つといわれます。このような甘えは文化を超えて共通であるといえそうですが、それとは少し異なる、土居健郎が『「甘え」の構造』(弘文堂)で提唱したような「甘え」もあります。日本人に特有な精神構造を示唆するものとして幅広い支持を得てきました。
土居が指摘したのは、幼少期に形成される甘えが、日本人の場合、大人になってからもさまざまな行動パターンの根底に残っているのではないかということです。たとえば、「ひねくれる」、「すねる」、「ひがむ」など、少し萎縮した感情が、本人が思っている以上にその人の中で幅を利かせていたり、甘えが必ずしも言語化されないまま、社会関係の中で重要な機能を果たしていたりします。
それで、神さまイメージと甘えについて調べてみることにしました。その結果、親しい神さまイメージを取り込んでいる人は、甘えの気持ちをあまり抱かず、厳しい神さまイメージを取り込んでいる人は、屈折した甘えを抱く傾向があることが分かりました。
後で述べるように甘えは、必ずしも個を意識しない感情であるのに対して、親しい神さまイメージを取り込むプロセスは、神さまという他者との関わりを意識させるということなのかもしれません。他方、厳しい神さまイメージを取り込んでいる人が抱く屈折した甘えは、甘えの理論では「自分がない状態」を意味します。神さまを意識しながら、自信と自尊心を持てず、他者に左右される傷つきやすい自己に苦しむことになります。

甘えと信仰は別物です。信頼は、対象が他者として意識されると、それに連動するように、自分も個として意識されるようになります。ところが、神さまへの甘え、居心地がよいと感じる感覚、神さまと一つとされたという言い方で表現されるとろける感じなどは、個が希薄でも成り立ちます。「恵まれた」という言い方が、甘えや心地よさだけを表しているとしたら、自分の在り方を問い直してみることが、信仰の成長の助けになるかもしれません。
個が希薄で、主体的にものを考えにくい精神構造の中で甘えや心地よさだけを求めていくと、それがマインド・コントロールの構図や権威主義的な教会の在り方を成立させることに一役買ってしまう可能性も否定できません。そしてその背景に、厳しい神さまイメージが横たわっているかもしれないということです。この意味で、親しい神さまイメージが健康的に内在化されていることは、決定的に重要であるといえます。

もう一つ大切なことがあります。どのような宗教環境で人格形成をしたかという問題です。キリスト教の背景の中で人格形成をした人は、甘えの心理を抱く傾向があり、キリスト教の背景のない中で人格形成をした人は、甘えの心理をそれほど抱かないということが調査では示唆されていました。もし、甘えと厳しい神さまイメージに相関があるならば、キリスト教の背景の中で人格形成をした人の中に、律法的で厳しい神さまイメージが取り込まれている可能性があるという見方もできます。
これは少し複雑です。幼少期の環境が必ずしもよくなかったと感じている人のほうが、「ガーン」という変化を経験する傾向があるという点も無視できません。さらには、キリスト教の背景の中で人格形成をした人が甘えを乗り越えようとして「ガーン」を追い求めるとします。子どもの時に回心のイメージに自分を重ねてしまうなどの無理があれば、意識と実態のギャップが生じ、発達段階に沿った神さま理解の深化をたどれない可能性もあります。そのようなアンバランスさを持ちながら、キリスト者として人から評価されることを求めなければならなくなると、個に代わる何かが必要になります。たとえば、教会の主張や神学です。ことばや神学で言えても、人柄のレベルでどことなく正直でない感じが残ります。

このようなお話しをすると、少し心配になるかもしれませんが、完全に自立できている人などいません。フッと、「神さまは、そんな厳しい方ではなかったんだ」と気づくことだけでも、自立的な信仰への旅立ちになるだろうと思います。神さまは、細かい所を突っつく裁判官ではなく、子どもである私たちを養い育ててくださる愛にあふれた父だからです。
甘えの心理と神さまイメージの問題は、私たちの信仰の在り方をチョット考えさせてくれる、興味深い、しかし思った以上に大切なテーマです。