特集 星野作品の原点―心の軌跡をたどる 神様が取っておいてくださった企画 私の感じる星野作品の魅力

『 あの時から空がかわった 』

 

富弘美術館 学芸員 桑原みさ子

「不思議だね、来た時には何とも思わなかった花が、帰りはすごくきれいに見えるね」
先日、富弘美術館に来館された中年ご夫婦の会話です。美術館の出入り口に生けてある白花の侘助(椿の一種)を見ながら、男性から、しみじみと出た言葉です。奥さんも深くうなずき、しばらく見入っていました。
美術館の出入り口に立っていると、こうした光景をよく目にします。重苦しい表情で入って来られた方が帰る時は晴々した顔つきで、私たち職員に「ありがとうございました」「とてもよかったです」「感動しました」と声をかけてくださいます。私たち職員の一番うれしい瞬間です。
富弘作品の多くは、野に咲く草花。花は一つとして同じものはなく、描く度に発見の喜びがあると言います。一九七二年以来、今日に至るまで、五百点余りの作品を生み出しています。そのほとんどは花の絵です。今もなお発見の喜びのもとに、描き続けていて、富弘さんがいかに花々に魅せられているかが理解できます。そして、日常の中に輝く小さな「いのち」をとらえた言葉は、私たちのこころの奥底に響きます。
私の幼少期は、学校の行き帰りに、四つ葉のクローバーを探したり、オオバコの花の茎で引っ張りっこをしたり、あるときは、道端に咲く小さな花を何十分も眺めたり、遊び相手は自然でした。しかし、今は、移動手段のほとんどは車です。足もとの雑草を眺めるどころか、歩きもしません。ちょっとそこまで、というときでも車を利用しています。富弘作品を目の前にして、こんな生活でいいのだろうかと、私は思ってしまいます。
ここ十年ほど、男性の来館者が目立つようになりました。社会の荒波に耐えて生活を送る人、悩みを抱える人、病に苦しんでいる人、いろいろな人がいることを富弘美術館に設置してある「ひとことノート」から窺うことができます。こうした人々に、忘れかけていたものを気づかせてくれる力が富弘作品にはあるのだと思います。
今年、富弘美術館は開館二十五周年となりました。入館者は、六百六十万人を超えました。年平均二十七万五千人という数は、少なくない数字だと思います。これからも、多くの人々に、富弘作品の魅力が伝わるよう、努力してゆきたいと思います。