Opus Dei オペラな日々 第8回 神の息吹に生かされて

稲垣俊也
オペラ歌手(二期会会員)、バプテスト連盟音楽伝道者

稲垣俊也 生きとし生けるものが息を吹き返す春。すべてのものに命を与える春の息吹!

 今月号は、そんな春の息吹に誘われて、”息”のすばらしさについて思いを巡らしてまいりましょう。

息とは「霊」

 歌にとって一番大切なことはズバリ”息の流れ”です。息の流れにのった言葉は、本当に”生き生き”として人々の間に広まっていきます。逆に、息を伴わない言葉は”死に体”の言葉どおり、単なる情報伝達でしかありません。

 この「息」という言葉はヘブル語でルアフ、ギリシャ語でプネウマといいます。この言葉は同時に「精神、霊」という意味でもあります。「霊」なんていうと「幽霊」を連想してしまいがちですが、聖書でいう「霊」あるいは「聖霊」とは、すべてを生かす息吹、人の心にインスピレーションを与え、寂しさから喜びへと生かす不思議な息のことです。

飛び出した精神

 精神医学の分野で、「手」は「飛び出した脳」とされています。手の果たす役割は膨大です。”なでる、さわる、たたく、つかむ、温度を感じる”など、挙げればきりがありません。「手」は人の意思を代弁し、経験や記憶を蓄える「飛び出した脳」といえましょう。同じように”息”も人の思いや感情を最も具体的に表すことのできる”人にわかる精神””飛び出した精神”といえるのではないでしょうか。

 以前、耳の聴こえないの方々の前で歌わせていただく機会がありました。大きな歌詞カードを横に置いて歌ったのですが、私は、「耳の聴こえない方々であれば、歌詞カードだけで十分ではないか」と不思議に思いました。しかし、施設の方は、ていねいに答えてくださいました。「確かに彼らは音を聞くことはできませんが、聴覚以外の器官で音を訊いているのです。音の共鳴を肌で感じたり、音楽を味覚で味わってます。あるいは空間に放たれる演奏者の”息”を目で追っているのです。これは不思議なことに、声楽曲でしかできないことなのです。」

 私は自分の無知を恥じました。彼らは”息”、すなわち”精神”そのものを心の眼で感じ、味わっていたのです。芸術家を任ずる私が、芸術の本質を逆に教えていただく機会となりました。

息が深まれば、精神も深まる

  ”息”は人にとって一番深く、精神に最も近いものであるといえます。無念無想になって呼吸を深めていくと、身体だけでなく心までもが豊かさと深みを増していくことに気づかされることがあります。そわそわと浮いていた自分、生きていなかった自分が落ち着きを得て、精神的ななにかによって支えられているような気がしてきます。

 自分とは、何と不思議な存在でしょうか。自分の心の中に”息”という神秘的なものを宿しているだけでなく、それが生きとし生けるすべてのものとつながっているのです。大自然をはじめすべてを生かす不思議な息によって、自分もまた生かされています。”息”をとおして自分が大自然の一員であることを感じることができます。

父なる神から息を吸い、父へ戻す

 三位一体の神様も、呼吸をなさっておられます。

 まず御父が、聖霊との交わりの中で、ご自身の”息”を御子に明け渡されました。そして御子は聖霊との交わりのなか、十字架上で御父に”息”をお返しになられました。

 聖霊が与えられている私たちも、神様の呼吸、すなわち”御命の授受”という奥深い神秘を、賛美歌を歌うということで体験できます。

 畏れ多いことですが、私は、歌うときイエスの立場に自分を置き、自分の呼吸をイエスの呼吸にあわせ、イエスとともに御父の無限の懐からその息を吸い込みます。その息と歌詞を自分の中に受け入れ、自分の存在の隅々にいきわたらせます。また息を吐くとき、イエスとともに御父の懐に全存在をゆだね、”息”をお返しします。

 歌うということは、知らず知らずのうちに”息”の意識を高めてくれます。イエスとともに存在の源から自分の存在をいただき、また息を吐くとき自分の人生の終点である御父にお返しする……。この単純な方法を何回も繰り返すことで、父と子と聖霊の奥義、神秘の中で自分の人生を実感できるようになります。

 この春の息吹の中で、神の息吹に生かされる本当の自分を創めてみませんか。