NEWS VIEWS FACES 映画『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』
横田早紀江さんの苦しみを理解し支えよう

礒川道夫
ライフ・エンターテイメント チーフプロデューサー

 拉致問題で苦しむ横田早紀江さんがキリスト者であることを以外と知らない人が多い。この映画の中には、横田さんが信仰について語るシーンがある。

 「お友達で、『バイブルクラス』というのを前からやっていたんですね。バイブルって読んだ事がなかったんですけれど、お友達が『聖書を一度読んでごらん』と言って、ヨブ記の1章21節だったと思うんですけれども『主は与え、主は取られる』という箇所があるんですね。与えられるのも神様だし、もう『これは駄目です!』といくら人間が離したくないと思っていても『いま取ります』と言われたらパッと取られるのも神様で、取られた時にそのことは悲しいけれど、その悲しさの中で何をもっと与えられるかということが判ったんですよね。で、その箇所を読んだ時に、本当に何か、本当に何か『はぁ、そうだ』というか、何とも言えない気分になりましてね。」

「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1:21)この言葉から聖書に引きつけられ、涙ながらに聖書を読んでしまったという横田早紀江さん。

  「どうしてこんなことが起こるのか、どうしてこんな目に会うのか。神はいるならなぜ解決しないのか」これが普通の価値観であり、こちらの方が理解しやすい。しかし、横田さんは、神に祈り、ゆだねることを選択する。

  この映画は、キリスト教映画ではない。まして日本人向きに制作されたのではく、外国人に観せるためである。しかしめぐみさんの失踪から、わが子を取り戻すために戦ってこられた長い年月の苦しみの連続のシーンの中で、一瞬かもしれないが、祈る姿の横田さんに、同じキリスト者なら心を合わせて祈るよう促され、またここに救いがあるように感じさせられるはずだ。

  拉致問題や、それに関わる政治問題には色々な意見があるかもしれない。しかし同じキリスト者として祈って横田早紀江さんの苦しみの重荷を担い合うことに反対する人はいないだろう。

  30年の苦しみを簡単に理解することはできない。失踪した後、どこにいるのかわからないめぐみさんに、当時の「小川ひろしショー」で呼びかけるシーンには涙する。この映画 を観ていただければ、少しでも彼女の重荷を共有できるはずだ。

  そして私たちには一部しか共有できなくても、わが子イエス・キリストをこの世に送り、そのためおよそ30年近く別離し、私たちのために十字架にかけられた天の父なる神は、彼女の痛みと苦しみを十分わかっておられると思う。