講演会報告 ことばを愛し ことばの力と 可能性を信じる クリスチャン作家 Walter Wangerin Jr.

井上政己
東京基督教大学 専任講師

 ウォルター・ワンゲリン氏がいのちのことば社の招きで初来日。東京でセミナーと講演が行われるにあたり通訳を依頼され快諾した。『ブック・オブ・ザ・ダンカウ』を書評した縁もある。なによりも、アメリカ文壇史に名を残すであろうこのクリスチャン作家に会ってみたかった。

 セミナーに先立ち同社社屋にて打ち合せ。初対面にして十年の知己であるかの感を抱かせる人なつこさを氏は持っている。その言動は決して威圧的とはならず、常に周りに気を配り、その場にいる人をなごませる。しかもその言うところは表層的ではなく重みがある。円熟した人格が醸し出す物静かな部分と無心な幼子特有の快活さをあわせ持つ。豊かな人生経験に培われた知恵と屈託ない少年の遊び心が共存する。

 氏は講演用のレジメ・原稿の類は一切用意しないと聞いていた。担当者らの情報や要望を酌み取りつつ、あらかじめ心積もりしてきた内容を概ね惜しげもなく捨て去り、その場であれこれとアイデアを取捨し構築していく。傍で見ていて小気味よかった。

 ひと通りの打ち合せの後昼食。当日のセミナーと講演を離れ話頭は広がった。我が国では教養・学問の対象としてのみ扱われがちな世界大文学の数々に、氏は胸躍らせる。あたかも普通の子供がコミックやアニメに対するかのように。また、氏はことばをこよなく愛し、ひとつひとつのことばの生い立ち・年輪に深い関心を寄せる。ことばの音楽にも確かな耳を持っている。日常に埋没する非日常を観察する鋭くも優しい眼。そうして観察したものを歳月を経てなお細部にわたり記憶に留める。そしてそれを活き活きと再現する。要するに、ワンゲリン氏は、ことばを愛し抜きことばの力と可能性を信じきる。

 しかし、ワンゲリン文学を成り立たせている最大の要因は、その人柄と思想である。氏の信仰と神学と言い換えてもいい。聖書の真理に固く立ったキリスト教世界観である。ことばの魔力を自在に駆使することができる氏は、真善美を損ねるものを何ら書かないようにと厳しく自戒する。これは、作家殊に小説家と道徳的生活がかならずしも結びつくわけではない我が国の文壇を思うとき、新鮮である。「筆硯の業をもって隠居仕事と見なし、文人を目して閑雅風流の人となす社会」において、貴重である。古来文学者は人類の英知を継承し天来の真理を取り次ぐ預言者の役割をもって自ら任じていた。ホメロス然りウェルギリウス然りダンテ然りミルトン然り、である。しかるに、日本における詩歌小説随筆の伝統は、この最も本質的にして崇高なる文学の系譜と全く無縁であった。その意味においても、ワンゲリン文学の翻訳紹介は、我が国の文壇の欠けたるところを補うと同時に、あるべきキリスト教文学の方向性を世に問うことであろう。