編集者より 38718

 先日幼なじみを訪ねました。彼女は法を犯し裁かれるべく拘置所にいます。実は、拘置所に入る前に洗礼を受けたいと言ってきました。一度誘った伝道集会で「こんな自分でも愛してくれる方がいることが分かった」です。私は喜びましたが、一時の気の迷いだったのかもしれないと思っていました。しかし彼女は「確かに私は罪を犯しここにいる。でもこれを通して本当に大切なことを得た」と言うのです。新約聖書をさしいれたのですが、すでに旧新約聖書を持っていました。「刑務所ではキリスト教サークルがあるから洗礼を受けることができるかもしれない」という彼女には以前の絶望に満ちた表情はありませんでした。(梶)