編集者より 37622

 なぜする必要があるのか、その意味もあいまいな理解のまま義務のようにして行う、ある意味でこれほどつらいことはないように思います。信仰者としての地上での歩みにも同じことは言えないでしょうか。みことばの学び、日曜日の礼拝、伝道など、私たちはなぜする必要があるのでしょうか。新しい年をむかえるにあたり、少しだけ立ち止まって、今当たり前のようにしていること、半ば習慣のようにしていること、みことばの教える原点に立ち返って、見直してみてはいかがでしょうか。行き詰まりを覚えていた日常の信仰生活に別の側面から光が射し込むようになるかもしれません。(正村)