福音派による讃美歌集を求めて 新讃美歌集発行を目指し『あたらしい歌』を発行(1)

出席者 理事長◆高橋和義氏(日本福音キリスト教会連合・立川駅前キリスト教会牧師)
蔦田直毅氏(イムマヌエル綜合伝道団・新潟キリスト教会牧師)
植木紀夫氏(桜美林大学芸術文化学系准教授)
井上義氏(日本同盟基督教団・等々力教会牧師)

『讃美歌』『聖歌』の改訂で自前の讃美歌集への思い募る

― この活動が始まったきっかけは何だったのですか。

高橋:二〇〇三年に、いのちのことば社の招きで、同盟と日本福音キリスト教会連合の代表が集まって今後の讃美歌集に関する懇談をもったのが、協会設立のきっかけになりました。

 その後、讃美歌集というのは、やはり教会の営みとして、教会が生み出していく形をしっかり取っていくべきだということになり、〇五年に協会を設立し、どういう讃美歌集を作るかという検討をして、やっと『あたらしい歌』の発行まで来ました。

― 新しい讃美歌集が求められる機運みたいなものがあったのでしょうか。

植木:やはり、諸教会の中に、讃美歌の分野についてのいろいろな疑問やニーズが、潜在的にまたは一部顕在的にすでにありました。特に『讃美歌』が『讃美歌21』に、『聖歌』が『新聖歌』に変わって、やっと学ばされたというか、いろいろな言葉にならないうめきのようなものがあって、私たちも有志で勉強会をしていました。

― 「うめき」とは、具体的にはどういうことだったのでしょうか。

植木:私たちは、『讃美歌』と『聖歌』の恩恵を受けるだけの立場で長い間、信仰生活を送ってきました。しかし、それらが『讃美歌21』と『新聖歌』に変わったときに、言葉が変わったとか、あの曲がなくなったとか、新曲が入ってきたとかで自分たちが当たり前に歌ってきたものが、突如なくなったり、変わったりしていく。そのとき初めて、あっ、やっぱりこれは教会の中の事柄として、非常に大きなことだと気付いた。自分たちが讃美するということは、自分たちで考えないといけなかったんだということに気付いたのです。

高橋:教会の牧師の立場で言うと、『聖歌』がなくなり、『讃美歌21』と『新聖歌』のどちらを使えばいいのかということになりましたね。讃美歌集というものを教会が選ぶときに、どういう基準で選んだらいいのかということを改めて考えさせられたんです。そして、いろいろな先生方に教えていただきながら、やはり福音派が自分たちの手で新しい讃美歌集を生み出すことが必要だという認識を強くしたのです。

『あたらしい歌』の先にある本歌集には約五百曲を収録

― そのパイロット版である『あたらしい歌』の選考基準はどんなものでしたか。

井上:今の段階で目を通すことのできた新しい作品の中から、内容的に良いものであること、もう一つは福音派の諸教会に出すものとしてつまずきにならないということが基準でした。内容的にラディカルなものや、例えば福音演歌の類は候補から落ち、わりにおとなしいものが残ったというのが正直な印象です。また多様性を重視しましたので、その豊かさの香りを感じていただける選曲になったと思います。

― パイロット版の先には、約五百曲を収録する本歌集の発行があるそうですが、選考基準は。

蔦田:一つは「礼拝」を意識しています。伝統的な礼拝という考え方、いわゆる「集会」ということではなく、福音派の教会にとっての礼拝の意味合いと、その中での讃美歌の位置づけということを主に考えようというのが大きなテーマですね。ですから、礼拝に使えるというか、礼拝で使うということが意識されているわけで、歌詞も曲調も全部含めて「礼拝」ということが念頭にあります。21世紀ブックレット『礼拝における讃美』(いのちのことば社)の発行もそのための準備の一つでした。

 そういう意味で、時間と経済のゆとりがあれば何回もパイロット版が出て、皆さんのテストを受け、批判を受けて完成に向かえればよかったのですが、やはり時間にも限りがありますから、こういう形で今回出しました。その意味では、選曲なども途上の一つという形ですね。