死と向き合う生き方 ◆自分の死の準備

窪寺俊之
聖学院大学こども心理学科長・淀川キリスト教病院元チャプレン

人は死を忘れたときには高慢になり、退廃に向かうが、死を恐れすぎると萎縮して活力を失ってしまいます。多くの人は、死と正しく向き合うことさえ避けています。抽象的議論はできても、自分の死が来ると怯え、恐怖に捕らわれて逃避しようとします。「死は最後の敵」(Ⅰコリント一五・二六参照)としてすべての人にやってきます。
自分の死に直面して、しっかりと向き合って生き抜くことは容易ではありません。それで、死に怯えて今を無益に生きることのないように警告する人も多く、ギリシャの哲学者エピクロスは、死は存在しないと言いました。死を恐れている時は、死をまだ経験していないし、死を経験したときには、その人はもういないからだというわけです。確かに死の直前まで人は死を経験していないのです。しかし、これはギリシャ哲学者らしい詭弁です。

ある宗教学者は、自らがんになったとき、ただ、がむしゃらに生きようとしました。今を燃焼して生きることに、いのちの意味を見つけようとしたのです。けれども、それでは死の不安や恐怖の解決にはなりません。ただ死を考えることを先延ばしにしているにすぎないからです。
結局、死がいつ来てもよいようにその準備をするしかありません。どんな準備が必要かを考えてみましょう。

 

死と向き合う生き方 ◆柏木哲夫先生講演会「いのちをつなぐ」レポート

まず、過去の清算ができているでしょうか。目を閉じてみましょう。失敗や恥ずべき行為が思い出されてきます。過ぎ去った時間は取り返せません。ただ悔いや後悔が深く心を締めつけます。多くの人は、死の現実を前にして人生の総決算をしながら、深い後悔の念に苦しみます。人を傷つけた罪の清算ができて初めて心に平安が訪れるのです。ですから、罪深い自己を受け入れる謙遜さが必要ではないでしょうか。この清算には神様の赦しが必要です。

では、過去の清算ができたとして、この今の時間を有意義に生きているでしょうか。その人らしく生きているでしょうか。その人らしくといって、自己を目的化して、自己中心的になっていないでしょうか。与えられたいのちを自分だけのために生きているのでは、価値ある人生とはいえないでしょう。他者への愛に生きることが重要です。愛に生きるとき、その人の人生は充実感にあふれてきます。このことは死の準備に欠かせません。これが二つ目の準備です。

三つ目は、死の向こうに希望を見つけているかということです。自分自身に問いかけてみましょう。死んだら終わりだと死を恐れたり、がむしゃらに生きようとしたり、自暴自棄になっていないでしょうか。死の向こうに希望がなければ、ここにしがみつくしかありません。将来に希望を見いだすこと、これが第三番目の準備です。

さて、胸に手を置いて、一つ一つの問いに正直に答えてみましょう。どこか不安があるのではないでしょうか。人は所詮自分中心であり、欲望の塊ではないでしょうか。また、正しい人が必ずしも幸福ではない事実を見て、人生が揺さぶられるかもしれません。真実はどこにあるのかと嘆くかもしれません。

死の準備で最大のテーマはすべての人のいのちを支えている方を知ることです。聖書は、人間の創造から死後の世界までが神の支配の中にあることを語っています。人が神様に反抗した時も、苦しみのどん底に落ちた時も、神様は憐れみと力をもって助けてくださいました。神様に反抗し従わない人間への愛と救済の歴史が神様の物語です。その最大の出来事が、イエス様の十字架と復活です。罪人を救うためにイエス様が身代わりとなり、十字架上で死に、三日目に復活してくださいました。

読者の中には、イエス様の十字架と復活の福音を信じられないと言う人がいるでしょう。信じられないと失望しないでください。神様はその人を差別して、恵みの雨を降らせないなどということはなさいません。神様の言葉はだれにとっても慰めの言葉です。イエス・キリストの十字架と復活という救いの道は、世界中の人々に開かれています。一人ひとりの人生はすでに神様の計画と支配の中で動いています。神様は人間の計画や思いを超えたところで、すでに働いておられます。神様を認めずに自分勝手に生きている私たちの姿を見て神様は心を痛めておられます。そして、神様は「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ四三・四)と言ってくださいます。

死が来たら、人生すべてが終わりだと思うかもしれません。しかし、見える人生のほかに、「見えないもう一つの人生」があります。神様が導かれる「いのちのドラマ」です。神様のドラマの中で私たちは与えられた時間、場所の中で個人の役割を果たしているのです。神様の壮大なドラマは、未来に向かって続いていきます。神様の愛の手の中にすべての生も死もあるのです。この神様のドラマのテーマは、ただ一つ「すべてのいのちへの愛」です。

神様はご自分の愛を悟れるようにと、私たちに聖霊なる助け手まで送ってくださいました。至れり尽くせりの配慮です。「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように」(エペソ三・一九)。神様の願いは、すべての人が神様の愛に包まれて生と死を生きることです。

『ほんとうの天国―永遠の世界を想う50日』


ランディ・アルコーン 著 佐藤知津子 訳368頁 1,800円+税

 

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