時代を見る目 156 齢を重ねることの意味(3) 高齢者のスピリチュアリティ

岡村 直樹
東京基督教大学 准教授/日本同盟基督教団 神学教師

 聖書の教える広い意味での信仰の成長(精神的、倫理的、社会的な成長も含む)に向かって高齢者が歩もうとするとき、考慮されるべき非常に大切な要素のひとつに、「スピリチュアリティ」を挙げることができる。宗教教育学の分野でこの言葉は、「人生の旅路(歴史)で遭遇し影響を受けた様々な関係性(人や社会や神との関係)の中で培われ、人間の物質性、心理性、社会性と密接にかかわり合いながらも、それらを超えた場所に位置する特性」と定義される。またそれは、宗教的背景やその有無にかかわらず、すべての人にあるものとされる。一般の教育の現場では、学びに対する順応性や教育的背景といった、個々の「特性」に配慮しつつ、教育の方法が模索される。同様に「スピリチュアリティ」に対する配慮が、信仰の領域においては必要となるのである。

 では、高齢者クリスチャンの「スピリチュアリティ」を私たちはどのように知り得、またどのようにそれを個々やグループの信仰の成長に生かすことができるであろうか。そのヒントを前記の言葉の定義に含まれる二つのキーワード、「歴史」と「関係」に見いだすことができる。つまりそれは、ひとりのクリスチャンが、今に至るまでの長い人生の歩みの中で、自身や他者、社会、聖書、そして聖書の神とどのようにかかわり合って来たかについて吟味し、それをとおして明らかになった事がらを信仰成長のプロセスの手助けとして用いることではないかと思う。パウロはピリピ人への手紙三章をはじめ、ほかの箇所において自らの人生をその生い立ちからふり返り、人や神とのかかわり合いの歩みを回顧しつつ、自らの信仰を説明している。これは、彼が自らの「スピリチュアリティ」と、今の信仰の形の間に、密接な関係があることを認識していたからではないだろうか。

 人が目的地を目指すとき、まず自らの場所を知らなくてはならないように、個々のまたグループの「スピリチュアリティ」の探求をとおして、それぞれの背景や位置を知ることは、信仰の高嶺に向かって歩むプロセスにとって、さらに福音伝道にとっても大きな助けとなるであろう。昨今メディアに登場する怪しげな「スピリチュアルアドバイザー」なる人々が、根も葉もない話で多くの人々を惑わす中、私たちクリスチャンが論理的に、そして聖書的に、高齢化のすすむ日本社会における「高齢者のスピリチュアリティ」を語ることが、今必要とされているのでないかと思う。