時代を見る目 122 国旗・国歌をめぐって(1) 「踏み絵」の前に

岡田 明
都立高校勤務
日本福音キリスト教会連合 主都福音キリスト教会会員

 今学校で、国旗・国歌の「強制」が、凄まじい勢いで進んでいることをみなさんはご存じでしょうか? 二〇〇三年十月二十三日、東京都教育委員会は、式典において教員は号令とともに国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること、従わない場合は「服務上の責任を問う」、という内容の通達および実施指針を出しました。力ずくとも言えるこのような強制に対し、反対の声が教員たちの間であがりました。私もクリスチャンとして、そして日本史の教員として、このような強制には従えないと職員会議で意見を表明してきました。

 この通達が出されて以来、私は「踏み絵」の前に立たされているように感じています。不利益を覚悟で信仰の良心に従うか、それともこの世の権力者を恐れて妥協するかを問われていると感じるのです。多くの人は、あれは学校行事だ、宗教とは関係ないと言います。しかし、「日の丸・君が代」が指し示すものは「天皇」です。

 つい先日も、東京都の教育委員を務める米長邦雄氏が、功労者を招いてもてなす宮中行事である園遊会の場で、天皇に「全国の学校で国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と言いました。国旗・国歌が天皇と密接な関係にあることをいみじくも吐露した発言だと思いました。

 新憲法において天皇の地位は変わりましたが、残念ながら、天皇の宗教生活はさしたる改革が行われないまま今日に至りました。今の天皇も大嘗祭(だいじょうさい)という立派な神道儀式で即位しました。この儀式の核心は、皇祖神天照大神(あまてらすおおみかみ)と新穀を共食することにより、祖霊と合体して天皇たる霊力を身につけることだそうです。つまり天皇は今でも神道という宗教の祭神なのです。「君が代」はそのような方の統治が永遠に続くようにという歌詞ですから、歌うことを強制されたくないと思うのですが、みなさんはどうお考えになりますか。ただの学校行事と言えるのでしょうか。

 国旗・国歌の尊重は世界の常識などとよく言われますが、それは聖書の常識ではないと思います。処分を背景に強制が進み、構築されていく社会はいったいどのようなものになるのでしょう。国家神道体制が再現されると思うのは杞憂でしょうか。聖書の基準に立ち、信仰の感性を研ぎ澄まして、告白的に生きることが今、求められていると私は思います。