時代を見る目 121 牧師館の子どもたち(3) 陰の協力者

大山 信子
日本メノナイト教会協議会 
白石キリスト教会 牧師夫人

 「クリスチャンホームなんて堅苦しくてやだよね」「そうだよね。うちの親なんてね…」と話のできる関係は、グチッているようでも、実はとてもよい友人関係の土台作りをしているのだと思います。似たような経験は人と人とを近づけ、安心して話すことで連帯感が生まれます。

 牧師の子どもは教会の中に共感できる関係をなかなか見出すことができません。牧師の子どもという存在が他にいないことが多く、私の場合、家での不満を口にすることが牧師のイメージを傷つけないか、信徒との関係を悪くするのではないかと余計な心配をしてしまいました。

 一部の地域では「牧師の子どもたちの会」が持たれています。同じような経験や思いを分かち合える他にない場だと思います。心許した人の話を聞くことで、教会や親を見る目も変えられたり、広げられたりすることでしょう。まだごく限られた地域での取り組みですし、その子の性格や状況によっては参加しづらい場合もあるかもしれません。

 やはり「我が教会」において、理解され受け入れられているという実感が必要なのだと思います。社会の中でも教会の中でも孤独になりがちな彼らに自然に寄り添う人が一人でもいてくれたら、と思うのです。自分を特別扱いしない、陰口を言わない、信頼できる人がいるかいないかでは大きな違いがあります。 けれども特殊であることは変えようのない事実でもあります。

 以前、ある宣教師子弟に出会いました。「ご両親に従って海外に行かれて大変でしょう」と尋ねたところ、「いいえ、両親に従っているのではなく、神様に従っているのです」と答えられました。自分が「神の協力者」だという誇りと意識がよく伝わってきました。神様がここにわたしを置かれた、という事実を信仰をもって受け入れることができたら、彼らの生き方は変わるのだと思います。一緒に苦労してくれている子どもたちと霊的な恵みも、もっと分かち合えたらと思います。彼らは、教会の中で起こっている恵みの出来事を意外に知らないこともあるからです。

 神様が子どもたちも「協力者」として用いてくださることを、子どもたちと共に喜ぶことができればなんと幸いなことでしょう。牧師館に住むすべての子どもたちが、本当の友と家族に支えられて、そこで育ったことを主にあって受けとめることができるようにと願ってやみません。