愛する人との別れを迎えるとき 主人との再会を夢見つつ

渡邉 崇子
前 日本同盟基督教団 椎名町教会 牧師夫人

 二〇〇〇年四月二十七日、午後十時五十二分。一瞬の大雨とただ一度の雷鳴。主人(前椎名町教会 牧師 渡邉恭章)が主のみ許にお迎えいただいた瞬間でした。

 一九四〇年に生まれ、一九六〇年に受洗、と同時にキリスト教世界観に基づいて六十歳までの主にある人生計画をたてたとのこと。六十歳目前の二〇〇〇年に召天しました。主は、自分の人生を区切りよく導いておられるとよく言っていたことを思い起こします。一歩ずつ道が開かれ、今まさに花を咲かせる備えができたと思われるときでした。なぜ、なぜ、なぜ?

 「後知るべし」「エホバ与え、エホバ取りたもう、エホバの御名は、ほむべきかな」と、二十三歳の息子の突然の死に直面した父の口から出たみことばを思い起こしました。「後知るべし」――天国で、と思っていましたが、主人を送り、二年余の間に主は、あらゆる場面でその疑問にみ旨を示してくださいました。残された膨大な書籍、書類などの整理。途方に暮れ、体力の限界を感じ、摂理のときを思いました。そして主人を通して見せていただいた数々の御業を思い起こし、私自身に恵みを数えることを教えてくださり、あふれるばかりの主のご愛に満たされ、感謝の思いのみがわき起り、悲しみは消え失せていったのです。

 主人は、健康で活動的、絶えず主を喜び、人生をエンジョイしていました。生き方は信長戦法で、といつも先頭に立ち、すべてのことに正面から立ち向かい、カイパー、グラッドストーンを目指していました。そんな主人が療養中、「ぼくは、弱い渡邉になった」と言ったことがありました。その言葉をしっかりと受けとめ、もっと優しく、大切にすればよかったのにと、今も悔やまれます。「あなたは強い渡邉でしょ」と叱咤激励しての闘病生活。

 左半身に不自由を感じはじめたとき、多分軽い脳梗塞と自己診断し、軌道にのりつつあった奉仕の業に励んでいました。ところがまさかの「癌宣告。」今日が終わりの日になる覚悟をと、医師に言い渡され、日に日に体力が弱っていきました。そしてついに危篤状態を宣告され、大勢の方がかけつけてくださいました。それでもなお神様は、そこから回復させてくださり、ご栄光をあらわしてくださる、絶対に死ぬことはないと決め込んでいました。

 その晩、やっと元気になったので、今夜は泊まると言ってきたからと、それまで体調をくずしていた妹が思いがけず来院。そしてその夜、主人は息を引き取りました。すがりつき号泣しながらも、私とは、最も気心の知れた双子のようと言われていた妹をその場に送ってくださり、私の傍らに置かれた主の配慮を感じました。

 主人が召されてから間もない雨の日、傘をさして庭に出ることがありました。突然強い風に木の枝が揺れて、傘の上に、ドサっと何かが落ちてきました。バタバタと羽ばたく影が傘の内側から見え、スルッとすべり、縁側の上に落ちました。それは小さな雀でした。もし私の傘がなかったら、直接石畳に打ちつけられて……。そのとき「一羽の雀さえ、主は愛したもう」という賛美が心に響いてきました。ひとりぼっちになってしまった私を「主は愛し、守りたもう。」喜びがわき上がり、感激の涙があふれ、寂しさが喜びに変えられました。主がともにいてくださる!

 「井の中の蛙」の私に本当にたくさんのことを教え、主を喜ぶ人生を満喫させてくれた主人。美しい面影と楽しい思い出を残して天上へ。天上と地上との主、同じ神の下に生かされる幸い。天上と地上の境が取り除かれたような思いの中に、絶えず主がともにいてくださることを実感しながら、「かぞえてみよ、主の恵み、一つずつ」と日々新しい恵みを発見し、感嘆と喜びを与えてくださる主の大きなご愛の中に、平安な日々を与えられています。

 「主にあって死ぬ死者は幸いである」と同様に主にあって生かされる者は幸いであることに気づかされます。お祈りすることができ、多くのお祈りと主にある愛によって支えあうことのできるクリスチャン。そしてすべてのことを働かせて益としてくださる主。みことばの約束に真実である主に信頼し、主にある者の幸いを感謝しつつ、希望を天につなげ、神を愛する者として、主人との再会を夢見つつ歩ませていただきたいと思います。