子どもたちに今! 伝えたい
「性といのち」の大切さ… 第29回 聖書に忠実に生きたい

永原郁子
マナ助産院院長

一月号の相談を読み、さらに自分の罪意識を感じています。女性の性欲も知りたかったからです。中一で洗礼を受け、婚前交渉も聖書が教えているように知っていました。二十代になり、結婚して子どもを持っている人と、不倫という関係が少し続いてしまいました。思い出すたびに、神さまに申し訳ないことをしたと感じ、自分のしてしまったことは、神さまに赦していただけないのではと、不安がつきまとっています。
奥さんや子どもさんには、赦されないでしょうが、神さまはこんな私でも赦してくださるのでしょうか。たびたび思い出し、罪悪感に心がいっぱいになります。でも、もう絶対しないと神さまには、約束しました。今後は神さまに、聖書に、言われる教えに忠実に生きたいので、きよく生きていく生き方を教えてください。(匿名希望 三十三歳 女性)

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忘れることができない出来事に、今でも心がうずき、つらいお気持ちでおられることが伝わってきます。人からも神からも赦されないと思うことは、どんなにあなたの心と顔を曇らせていることでしょう。

ヨハネの福音書「姦淫の女」より

ヨハネの福音書八章に、宗教家たちによって、姦通罪を犯した女がイエスさまの前に連れてこられたときのことが記されています。宗教家たちがイエスさまに尋ねます。
「姦通罪は、律法に従うと死刑(石打ちの刑)にせよと命じられているが、どうお考えになるか」と。
地面に指で何か書いておられたイエスさまは、「あなたがたのうちで、罪を犯したことのない者が、最初にこの女に石を投げなさい」と言われました。すると年老いたものから一人ひとり去っていき、残ったのは女とイエスさまだけになりました。そして、イエスさまは、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」とおっしゃいました。
宗教家のいう律法は「裁き」ですが、イエスさまの教えは「赦し」です。イエスさまはその女を裁かれず、その罪の赦しを宣告されました。
イエスさまが罪を赦すことがおできになるのは、罪を犯した者が受けなければならない罰を、十字架におかかりになることで引き受けてくださったからです。すなわち、罪を犯した者が支払わないといけない代価をイエスさまが十字架の死によって支払ってくださったのです。あなたはすでに、このイエスさまの愛の中で生かされています。だから、不倫というあなたの罪をだれも裁くことはできないし、主が赦してくださっているのです。これほど大きな愛をいただいたのですから、もう罪から解放されて、主を喜んで生きていこうではありませんか。
あなたを愛されている主は、「人間的な欲求で生きていくのではなく、主に忠実に従いたい」と願うあなたの祈りをきっとお聞きくださるでしょう。

聖書の教えに忠実に生きる方法

聖書の教えに忠実に生きる生き方をお尋ねになっておられますが、わたしは次のように考えます。
① 日曜ごとに、心からの礼拝を主にお献げすること……礼拝によって霊性が整えられて、この世に遣わされたいと願います。
② 主にある兄弟姉妹との交わりを大切にする……主の愛の内に生きる喜びを分かち合える友がいることは、どれほどうれしいことでしょう。喜びが何倍にもなります。
③ 聖霊の働きに参与する……教会で計画された諸行事には、積極的にご奉仕したいと思います。
④ 日々のデボーション……一日の中で時を聖別し、みことばを読んで祈る時間を持ち、主のみ声に耳を傾けます。
⑤ 日々の祈り……朝一番に、食事の前に、夜寝る前に主の栄光をたたえ、感謝し、友のための執り成しと自分自身のことを願い求め、祈ります。
⑥ イミタチオ・クリスティ……何か行動する時には「主に倣う」ことです。「イエスさまなら、どうお考えになるだろう。どうおっしゃるだろう。どうされるだろう」と考えて行動する者でありたいです。
こうして、主に従おうとしても、悲しいことに私たちは罪を犯してしまいます。人を赦せない罪、人を愛せない罪、ねたみ、嫉妬、自己中心……。
それでもなお、そのような私たちの罪のために十字架におかかりになった、そのイエスさまの十字架の前に立ち続けることが、信仰者の歩みではないでしょうか。主イエスさまが流された十字架の血潮によって赦された者として、天を見上げ、感謝と喜びをもって主に従っていきましょう。

お手紙やメールを送ってくださった読者の皆さん、
永原さん、ありがとうございました。