子どもたちに今! 伝えたい
「性といのち」の大切さ… 第18回 どうしたら自己肯定できるの?

永原郁子
マナ助産院院長

私はあまり人を好きになることがないのですが、好きになっても、どこか「別れ」を考えてしまいます。どうせふられるだろうな……というか。永原さんの言う「自己肯定ができない」というのは当たっていると思います。どうしたら、自己肯定できるようになるでしょうか。すべてがそのせいというわけではないと思いますが、家族(親)との関係はとても悪かったです。大人になってから自分を肯定することは、すごく難しい気がします。自己肯定が低い友人(クリスチャン)の中には、恋愛に依存しているように感じる子もいます。(東京都 匿名希望)

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私は何歳になっても(もう随分な年齢ですけど)「人を好き」という気持ちを持ち続けたいと思っているんですよ。「どうせふられても……」です。
「人を好き」という気持ちは、大きなプラスのエネルギーになります。それによって、精力的に仕事をすることができたり、向上心が増したり、チャレンジする力にもなります。また心の潤いです。それは人との摩擦を少なくし、笑顔で過ごすことができるようになります。 
コリント人への手紙第一の13章4節に、愛の定義が書かれています。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません」と。
本当の愛とは見返りを求めず、その人に心が傾き、その人の幸せや喜びを心から願うことではないかと思います。そのような「人を愛する心」を持つことができたら、どんなにすばらしいことでしょう。
ですから、たとえ結婚に発展しなくても「人を好き」であり続けていいと思います。言うまでもありませんが、自己愛、性愛の感情ではなく、あくまでも〝相手の本当の幸せを願う”真実な愛でなければなりません。
また「人を好き」になる対象は、幅広く考えることもできます。関わりのある人たちや、時には見知らぬ人たちに対して、その人たちの幸せのために何かできることはないかと考えて心を傾けたいのです。それが、生きる力になるように思います。
ご質問に自分を肯定することが難しいと書かれていますが、正当に評価してもらえなかったり、否定され続けたり、無視されたり、また威圧されることは自己像を低くします。それはとても残念なことです。もともと、いのちは神のものであり、すばらしいものに違いないのですから。
この時代に、この国に必要とされて、神から送りだされたいのちです。誰が何と言おうと、長所も欠点も含めて丸ごと神に肯定されているいのちです。
聖書にそのことが書かれています。エレミヤ書1章5節には「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り」とありますし、イザヤ書43章4節には「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」とあります。ルカの福音書15章1~10節に書かれている、見失った一匹の羊のたとえでは、神はひとりの失われたいのちを慈しまれること。失くした一枚のドラクマ銀貨のたとえでは、あなたがいなければ全体が成り立たないとさえ語りかけてくださるのです。また、私たちをとりなしてくださる主イエスは、私たちを友と呼んでくださり、人生をともに歩んでくださいます。「傷ついたそのままのあなたでいいから、私のもとにおいで」という主イエスの声に耳を傾けたいのです。聖書に書かれているこのような数々の神からの愛のメッセージを素直に受け取り、自分のいのちのすばらしさに気づいてほしいと思います。
そして、最初に書きましたように、人を愛することです。神からいただいた愛を、私たちの手や言葉を通して人に伝えるときに、私たちは自分の存在の意味を知ることができ、力が与えられます。
また、人格が傷つけられるような環境に身をおいてはいけません。DVやパワーハラスメント、アカデミックハラスメントなど、力で相手を支配したり、意のままにしようとする関係が横行する世の中ですが、そこに居続けないことです。そしてありのままのお互いを受け入れ合うことができる場を持つことです。その点、神を中心とした交わりである教会は最適です。傷ついた心も少しずつ回復していくはずです。教会がそのような場であるようにと願います。

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