夫が教会に行くまでに (後半)

夫

自主グループでいきいきと新しい人生を

 この教会では、信徒の自主性が非常に重んじられている。教会が割り当てる壮年会や婦人会、青年会といったような縦割りのグループでなく、さまざまな自主的なグループのあることが特徴だ。働く女性が学びと交わりをするグループ、健康講座と実践を目的とするグループ、家族の救いのために祈るグループなどなど。夫たちの聖書研究会もそのひとつだった。

 夫たちは、今この自主グループで、生き生きと信仰生活を歩んでいる。

 「昨年、みんなで教会のペンキ塗りをしようということになりました。建築の仕事をしていましたから、それを生かして楽しく奉仕をしました」(Dさん) 「それね、『匠の会』というんです。一緒に奉仕することで、皆さんと気心が知れてよかったです」(Cさん)「二か月に一度は、男性三人で食事当番をしています。大好評だと自負しています。囲碁クラブ、歩く会など、そういう活動も少しずつ増えているんですよ」(Eさん)「やっぱり堅苦しくやり始めたら、うまくいかないんじゃないでしょうかね」(Aさん) 「教会のプログラムに参加してくださいというのは、ある種、強制で、やだなって思いますね。もちろん、私たちの歩みの中心は信仰で、それを削ってしまうと意味はなくなってしまいますけど」(Bさん)夫たちの信仰生活は、なによりも礼拝で霊的な養いを受けること、そしてさまざまな機会で自分に与えられているものを生かして神に仕え、人に仕えること、また与えられている信仰の仲間とさまざまな形で交わりを育むことのようだ。かつてとは違う、新しい人生を生き生きと歩んでいる様子がよく感じられた。

まだキリストを知らない方々のために

 夫たちの関心は、まだ教会に足を運んだことのない、かつての自分たちと同じ「未信者の夫」たちの救いだ。

 「教会に来てからのことも重要だけど、その前に男が教会に来るために、もっと教会のすばらしいところをアピールしなきゃいけない」(Aさん)

「未信者の時は、教会で何やってるかわからなかった」(Eさん)

「転勤でいろんな教会へ行ったけれど、何をやっているのかわからなかった。知ろうとも思わなかった。また、奥さんを車で送り迎えして、教会の前まで来ている夫もいますよね」(Cさん)

「一般的なイメージでは、クリスチャンは精錬潔白。教会に来る夫たちは、ものすごい覚悟で来るのだと思いますよ」(Bさん)

共通して指摘されるのは、教会が何をしているか知らない夫たちが多いこと。教会の敷居は思った以上に高いようだ。

 彼らは、未信者の夫たちが教会に来るきっかけをつくるため、いろいろと取り組んでいる。「同世代、同境遇の人たちには話が通じる。教会に来てもらえればこっちのもの。私たちが手にしたすばらしい歩みを、彼らにも手にしてほしい」と言う。

 五、六年前から、この教会では、ある興味深い取り組みをしている。夫たちが主体となり、クリスマスに、「インヴィテーション・トゥ・クリスマス」というカップルズ・ディナーを開催しているのだ。料理も会場のセッティングも企画もすべて男性たちの手作り。

 あるいは、夫たちが誘い合ってのゴルフ大会、歩く会、囲碁クラブなどが、未信者の夫たちとの接点となっている。このつながりの中で、信仰をもって歩むことのすばらしさを伝えようというのだ。

 「教会はノーなんだけど、ゴルフだったら行ってみると言う人もいる。教会の人たちの持ち味を生かせば、いろんな可能性があるじゃないですか。信仰を持つか持たないかは、次の段階。でも、つながりができれば、必然的についてきますよね」(Aさん)

家族の救いを教会が支援する

 この教会のN牧師は、「未信者の夫を導くために本当に必要なことは二つあります。ひとつは、さまざまな接点を持ち、ことあるごとに明確な聖書のメッセージを伝え続けること。そして、もうひとつは、すでにクリスチャンとなっている妻が夫の救いのために祈り求める歩みを、教会が支援することです」と言う。そして、さらに具体的な教会のためのヒントとして十二の項目を挙げてくれた(次頁参照)。

 未信者の夫は、教会とのつながりをもてる可能性が高い人々である。さまざまなかかわりの場を提供し、明確な聖書のメッセージに触れるならば、信仰の歩みを手にすることを決断してくれるはずだ。

 未信者の家族の中におかれているクリスチャンたちは、必ず家族に祝福をもたらす。そして、家族の救いのために非常に大きな役割を果たすことになる。教会はこの事実を理解し、その働きを支援することを意識する必要があるのではないだろうか。