四季の庭から 8 真夏の芝生

真夏の芝生
森住 ゆき
日本福音キリスト教会連合 前橋キリスト教会会員

 猛暑で有名な地方都市に住んでいるので、夏の芝刈りは根性がいる。うちの庭は猫額だけど手刈りなので、どちらが刈るか夫とのじゃんけんは真剣勝負だ。盛夏には連日気温が体温を超え、四捨五入で30度なら今日は涼しくて助かると感じるほどの日々。土地っ子のお年寄りも「いくら何でも昔はこんなじゃなかった」と言う。日暮れても夜になっても熱気が去った気が全然しないのだから。

 この独特の暑さの原因が都心の空調の排気熱によるという説がある。去年もあまりの暑さにマスコミが取材に来て市民にインタビューしたら「東京の人がエアコン使っているせいで暑いのに、何でこっちが冷房代払わされるんでしょうか!」と真顔で怒っていた人がいた。熱気が午後の風に乗って波状攻撃をしてくると思うと、暑苦しさに被害者意識のトッピング、古代ローマなら都市国家の戦いになるところかも。

 それにしてもこの異様な暑さは、地上での自分の勝手な生活ぶりが自ら招いたものであることを内心認めているからこそ、なおさら責め苦のように感じるのではないか、と私は最近そう思うようになった。

 世界をお造りになった神さまは、その管理を人間にお任せになったけれど、人間は最悪の庭師になってしまった。これからどうなってゆくのだろう。この暑苦しさの底にあるいやな感じと、私が自らの内面の罪を見つめる時のざらざらした感触は、あまりにもよく似ている。