ポケット人物伝 5 R・A・トーレー
 信徒の覚醒に力を注いだ大衆伝道者

 ルーベン・アーチャー・トーレー(1856~1928年)は、教師、学者、伝道者、牧師の4つの顔をもつ。両親は敬虔なクリスチャンで、特に母親はトーレーが説教者になるようにと熱心に祈り続けていた。トーレーは、その願いを拒み続け、15歳の時に、弁護士を夢みてイェール大学に入学。だが、ある時期からは勉学にも行き詰まりを覚えうつを繰り返していた。

 ある晩のこと母親が天使の姿となり夢に出てきて、「あなたには説教して欲しい」と告げた。それによって、トーレーのうつ状態がひどくなり、自殺したい衝動に駆られた。洗面所にいき自殺するためのカミソリを探したが、見つからなかった。「自殺したい」との気持ち押さえきれず、どうしようもなくなったトーレーは、祈りたいような思いになった。「この気持ちを解決してくれるのならば、説教者にでもなんにでもなる」。同時に、母も息子のために祈らなければという思いに駆られていた。その祈りにより平安をえたトーレーは、それから神とともに生きる人生を歩みだした。

 1875年にイェール大学神学部に進学。神学生時代は、フィニーの著作を読んでいた。1883年から86年にミネアポリスで牧会していた頃には、ミューラーの「祈り通せ」という言葉をモットーにしていた。

 長い間、D・L・ムーディーと活動をともにし、1902年と1921年の世界伝道旅行の際には、中国、日本、オーストラリア、ニュージーランド、インド、ドイツ、英国を訪問。1902年にウェールズで行ったトーレーの説教は、1900年代初頭のウェールズ・リバイバルのきっかけの一つとして知られている。トーレーは、ムーディー聖書学院の初代院長であり、数多くのディボーション・ガイドや、神学書を執筆した。R・A・トーレーの伝道者としての経歴には、霊的覚醒がついて回った。人気福音歌手チャールズ・W・アレキサンダーとともに行ったリバイバルの会場は、トーレー博士の魅力的な存在感、情熱、熱心さで満たされた。