ブック・レビュー 日本はどのように福音を語ったか

 『 和解と教会の責任 』
星出 卓也
日本長老教会 西武柳沢キリスト教会牧師

『和解と教会の責任』というタイトルだけを見ると、「戦争や平和問題についての本ですね」と簡単に片付けられやすいところでしょう。しかし、この本が問うていることは福音宣教そのものです。日本の教会はどのように福音を語ってきたのか。そして今、私たちはどのように福音を宣教しようとしているのかを、この本は問いかけています。
安藤肇氏は、戦時下の日本の教会のアジア諸国への福音宣教を赤裸々に語ります。日本政府がアジア諸国を植民地化し皇民化政策を進める中で、多くの日本の牧師たちが日本政府の要請によってアジア諸国に送り出されました。派遣された目的は、効果的にアジアのキリスト者たちを日本人化するためでした。神社参拝を奨励し、戦争や占領政策に協力させる。しかし多くの牧師たちは、それがアジアにおける宣教の働きの門を開き、同時に国策にも適うという理想に燃えてアジア諸国へ出て行きました。このような宣教はまさに、虐げられる側の苦しみを共に担う宣教ではなく、迫害する側に立った宣教。福音に仕える宣教ならぬ国策に仕えた宣教。世に仕え、同時にキリストにも仕えようとした宣教でした。
福音宣教とはどのようにあらねばならないか。歴史の中に何と多くの教訓が残されていることでしょうか。
宗教改革者たちが、国家や教皇主義という外圧から教会の信仰の自由を勝ち取るために戦い続けた信仰的独立という財産。キリシタン弾圧において、地上のいのちを捨てることになっても、永遠のいのちを得ることを選んだ殉教の証し。この歴史を学びながら、私自身、今立っている信仰の足元に何か大切なものが欠けていることを、先人たちが勝ち取った信仰の財産を受け継がなければならないことを、思わずにはいられませんでした。
今私が立っている信仰と今私が仕えている宣教を、歴史から問い直すように、考えるように。この書は私たちにそう問いかけている非常に重要な書です。