ブック・レビュー 改訂新版 『終末を生きる神の民』

改訂新版 『終末を生きる神の民』
瀧浦 滋
改革長老教会日本中会 岡本契約教会牧師 神戸神学館教師(代表)

キリスト者の社会的責任の「権威」を探る

 キリスト者の社会的責任についての聖書的手引きを目指し十七年前出版された、当時福音派の立場での先進的な試みの、改訂新版です。たしかに、聖書的教理の視点から問題に挑戦しており、一つの仕事が着手されています。だが、近世福音主義運動一般の、信仰の個人化による組織神学的また歴史神学的奇形が、この書の限界も生んでいることを感じます。聖書から社会政治問題を考える時の基礎は、神様からの「権威」についての聖書的教理を聖書の全体構造の中で確立することです。

 著者は改訂新版のまえがきに、「聖書的信仰の観点から社会的責任を考える際、大きな二つの観点として、神の創造の秩序と倫理に重点を置く見かたと、キリストによってもたらされた神の国の新しい秩序と倫理に重点を置く見かたとがあります」として、その統合を考えると書いています。

 しかし、「キリスト王権の教理」(たとえばL・ベルコフや A・A・ホッジの組織神学)には、聖定による創造の秩序を基点とした始原論的面と、贖罪を経て神の国の完成を視野に置く救済論的終末論的面とを統合した「キリストの仲保者的王権―力の王権・恵みの王権」がすでに聖書からまとめられています。正統的歴史神学も、「教会と国家の権威構造」の問題として二千年にわたる教会史をこの聖書的キリスト王権論の枠組みを中心に見ます。とくに一六、一七世紀イングランド・スコットランド教会の壮絶な闘いの歴史などから、聖書的「権威」の原則の無数の適用例を学べます(新正統主義のいわゆるキリスト王権論は似て非なるものなので注意)。この聖書的なキリスト王権に照らして天皇制を批判し、教会を位置づけられるはずです。本書の限界を超える道は、この聖書の「キリスト王権」の神学だと思います。

 なお、福音派が前千年王国説の縛りから解放され、ピューリタンの持っていた希望である後千年王国説を理解する視点を持つことも、信仰による社会的責任の聖書的確立に益すると思います。