ブック・レビュー 『星野富弘ことばの雫』

『星野富弘ことばの雫』
榊原邦子
『愛いっぱいバイブルクッキング』著者/牧師夫人

ユーモアあふれることばと姿にたくさんのエネルギーをいただいた

 星野富弘さんのファンにとっては、「こんな本ができたらいいのになあ」と思っておられたのではないでしょうか。

 このたび、『星野富弘 ことばの雫』が出版され、とても喜んでいます。それも奥様の昌子さんの撮られた写真といっしょに。

 胸をワクワクさせながら読みました。ひとことひとことの言葉に心をとめ、一枚一枚の写真を目で追いながら、なんともいえない優しさと温かさを感じました。知らず知らず、私の心が和んでくるのを感じました。

 「あとがきにかえて」に、「カメラと昌子さんのこと」が記されていました。昌子さんにとって、カメラを操作するということは、決して得意ではなかったようです。それなのにここまで腕を上げてきたのは、間違いなく富弘さんの指導によると思います。

 富弘さんは、昌子さんがカメラを手にする時、必ずといっていいほどに助言をします。その言葉に「ハイ、ハイ。こうかな」と笑いながら答える昌子さん。そんなふたりに見られるのは、強い信頼と大切にし合っている心と、昌子さんのひたすらな忠実さと、お互いの愛の姿です。

 富弘さんは、一日のうちどれだけ「昌子、昌子!」と呼ばれることでしょう。「ハーイ」と言って答える昌子さん(その声をお聞かせできないのが残念です)。

 「がくあじさい」や「れんげそう」の詩画は、照れ屋の富弘さんの、昌子さんへの素直な気持ちを表したラブレターだと思います。富弘さんが面と向かって昌子さんに言えない思いが、詩画の中に表れているのではないでしょうか。

 「一緒に歩いてくれる人たち」の章に、「父からもらったこのいのちを、誠実に思いきり生きることが、父への親孝行だと思っています」、また「もし私がけがをしなければ、この愛に満ちた母に気づくことなく……。母の顔にご飯粒を吐きかけた私の、顔のハエを母は手でそっとつかまえようとした。私は思った。これが母なんだと」を読んでいて涙がとめどもなく流れました。

 家族にとって「富弘さんのけが」はどんなにつらく大きな出来事だったことでしょう。家族の生き方さえも変えてしまうような出来事ではなかったでしょうか。でも、この「富弘さんのけが」を、家族の皆さんが自分のこととして受け止め、背負ってきたからこそ、今日があるのだと思います。

 「お母さん、長い間お疲れさまでした。どんなにたいへんだったことでしょう。でも、昌子さんという助け手が与えられてよかったですね。お母さんが、がんばっていっしょに歩いてくれたから、富弘さんの今があるのです」と私は思いました。そのバトンが昌子さんに引き継がれてきたわけです。

 あらためて『星野富弘 ことばの雫』によって、富弘さんのユーモアあふれることばの温かさと、素直に感動する姿と、いのちあるものと向き合って真摯に生きる姿に、たくさんのエネルギーをいただきました。

 この殺伐とした時代の中に生きる私たちも、優しさと温かな言葉のキャッチボールを交わし合いながら、今を生きる者でありたいと感じています。