ブック・レビュー 『「信仰」という名の虐待』

「信仰」という名の虐待
松永 堡智
日本同盟基督教団 新津福音キリスト教会 牧師

「信仰」という名に潜む危険性

「クリスチャン新聞」に掲載された連載記事『「信仰」という名の虐待』を読み、心痛む思いがしました。このたび、ブックレットとして出版され、もう一度読む機会が与えられました。そして、著者が「あとがき」で書いているように、「いろいろな場面で自分の信仰について振り返ることができるようになることを心から望んでいます」(九四頁)ということを感じています。

「信仰」にはすばらしい恵みがたくさんありますが、ともすると危険性が潜んでいることもあります。それに気づき、より豊かな信仰の人生を送るための心得あるいは注意点、というより根本的な信仰のあり方を点検するように求められているように思います。

 パスカル・ズィヴィー氏は言います。「その時に忘れてはならないのは、自分も他の人を同じように尊重しなければならないということです。」(三八頁)また福沢満雄牧師は、五五頁で次のように言います。「さばく方は主のみです。お互いに謙遜の限りを尽くして主の御前に出て歩ませていただきましょう。」そして、志村真牧師も第三章の「まとめ」で、「『全知・全能・遍在』の神を信じる者は、自らの罪深さや限界を知らされることによって、いよいよ謙虚にされていくべきです。しかし、絶対者への帰属意識が形成されることによって、かえって、自らを神と同一の枠組みの中に置こうとする心理作用が生じる危険性があります。神と自らを結びつけるときに、自分たちがあたかもすべてを知り、あらゆる力が備わり、すべての時代、あらゆる地域において優越しているかのように思い込んでしまうわけです。……実は、謙虚であろうとすることこそが、『信仰的虐待』を防ぐ最大のありようなのです」(七四頁)と述べています。

 ヤコブが「多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです」(ヤコブ三・一)と警告していますが、謙遜にアガペーの愛によってのみ仕える者でありたいと願わされる一冊です。