ビデオ 試写室◆ ビデオ評 39 ビデオ聖書コレクション
『エレミヤ』

ビデオ聖書コレクション「エレミヤ」
古川第一郎
日本キリスト改革派 南越谷コイノニア教会牧師

ここには、今の日本への預言がある!

 旧約聖書のヒーローといえば、モーセ、アブラハム、ノア、サムソンといったところで、よく映画になっています。でも、このシリーズでは、今まで映画などには取り上げられなかった人たちが、続々とビデオ化されています。たとえば、エステル、ルツ、ヤコブ、ヨセフ……。その中で、今の時代にもっとも語りうる人物が、預言者エレミヤではないでしょうか。

 「預言者」。その意味は、「その時代に向かって、警告を発する人」。不正を告発し、差別や暴虐を批判する。相手が民衆であろうと王様であろうと、堂々と語る。喜ばれようと拷問に遭おうと、語るのをやめない。これが、預言者の姿です。強く、りりしいイメージがあります。

 しかしエレミヤはちがいました。気の弱そうな顔をしています。脅かされると悲鳴を上げ、あまりの迫害のひどさに、「もう、私は、語りません」と言って、逃げてしまいます。でも、神様は逃がしません。エレミヤは殴られても蹴られても、語りつづけ、穴に吊るされても恋人を奪われても、語り抜きます。その預言は、味方には拒否されましたが、敵の心を和らげました。

 この作品には、多少のフィクションが入っています。それがあることによって、メッセージがもっと立体的に、はっきりと浮き彫りにされます。たとえば、「彼らは、肥えて、つややかになり、悪事に進み、さばきについては、みなしごのためにさばいて幸いを見させず、貧しい者たちの権利を弁護しない。」(エレミヤ5:28)この言葉が持つ重みは、これが語られる状況の描写によって、切ないほどに生きてきます。

 エレミヤの婚約者であったユデトとその家族は、借金が返せないために裁判にかけられ、奴隷にされてしまいました。金持ち本位の不公平な裁判で、家も持ち物も没収されて家族全員が奴隷になっていく。このような不正と残虐を、預言者は糾弾します。これは、今の日本に対する糾弾でもあります。

 ユダの王ゼデキヤは、大国バビロンに媚を売って王になりましたが、重い貢の要求に我慢ができず、バビロンを裏切り、ひそかにもう一つの大国エジプトと同盟を結んで、安全を図ろうとします。シャファン将軍と、「エジプトだ!」「バビロンだ!」と、どちらがユダを守ってくれるか議論している所に、首に枷をはめたエレミヤが入ってきます。「バビロンもエジプトも忘れなさい!!神に向きなさい!」これは、現代の日本にも向けられたメッセージです。不道徳と不正に染まった国。大国の言いなりになって安心しようとする国。真理を語るものを無視し、迫害してきた国。今にも迫っている危険に脅かされている国。それが、エレミヤがいたユダ、そして私たちがいる日本です。

 バビロンの侵略のすさまじさ、廃墟になったエルサレム。そこに立って泣くエレミヤ。しかし、彼の口から出たのは、福音でした。「神は神殿を建てなおされる。こんどは、われわれの心にも」。厳しい預言者の言葉も、赦しの福音に包まれているのです。

 このビデオ、見始めると、用事があってもなかなか立てません。