スポーツミニストリーの挑戦 第1回 スポーツミニストリーって?

蔦田聰毅
インマヌエル堺キリスト教会牧師
スポーツネット関西/大阪・主事

「スポーツミニストリー」と聞いて、どんなことを考えるでしょうか。スポーツの行事を開催して、地域のノンクリスチャンたちを教会に、または教会の交わりに招くこと。教会の行事としてスポーツを組み入れること。特に若い世代の信仰の育成のためにスポーツを用いること。スポーツをしている人々の中に入って、彼らの友となり、福音を証しする、または伝道の下準備をすること。スポーツを媒体にして教会同士の交流をすること。クリスチャンのアスリートを理解し、祈り、励まし、彼らに信仰の養いの場所や証しの場所を提供すること……等々。ほかにもいろいろな要素が考えられます。実際に取り組まれているさまざまな働きがあります。これら一つひとつが正解だと思います。さらには、これからもっと幅広く展開されてゆくこと、深められてゆくこと、まとめられてゆくことが期待されます。
実はこの連載執筆に前後して、日本各地、各団体でこれまで続けられてきた各ミニストリーの力をあらためて結集しようという具体的な動きが、あちらこちらから集まってきています。不思議な神さまの摂理を感じています。
すでに世界的な広がりと実績を持つこの分野で、日本は大きく遅れを取っていました。が、ここ数年、大きな可能性と期待が、日本のスポーツミニストリーに門を広く開けています。この分野の発展が目的ではなく、スポーツミニストリーの存在を多くの教会やクリスチャンに伝え、これを通して一人でも多くの人がキリストに立ち返り、日本の教会が強められ、主の御名があがめられ、ご栄光が拝されることを祈りつつ、つたないながらも筆を執ることにしました。しばらくおつきあいください。

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先日、長年アフリカで奉仕していたスポーツ宣教師が来日し、話を伺う機会がありました。彼がこのスポーツミニストリーの働きを始めようとした頃、最初の反応は厳しいものでした。当時、彼がかかわった諸教会では、「スポーツはよくないもの」という考えが支配的だったそうです。おもに、「スポーツは人を教会から遠ざける」「スポーツは戦い、勝つためのごまかしや乱暴な態度などを体得させるものだ」というような考えによるものでした。しかし今や、特に若い世代の中で豊かな実が結ばれつつあり、スポーツを通して福音に触れ、信仰に育つ人々が現れ、さらに福音を広めるために用いられている、というようすを伝えてくださいました。この数十年前のアフリカの事情が、余所事ではないように思えるのですが、いかがでしょうか。
私自身は、今からちょうど四十年前、小学校でサッカーを始めました。区大会の代表に選ばれたことで自信を持ち、サッカー大好き小僧になって、当然のように中学でもサッカーを続けることになりました。ただ、多くのクリスチャンが直面すると思いますが、日曜礼拝とクラブ活動の両立に対する葛藤が始まりました。
「日曜は教会に行くので、練習には出ない」ということを、教会の先生と中学校の顧問の先生に了承してもらい入部しました。一年生の頃から、校内の練習試合では二年や三年のチームに交ぜて出してもらうなど、目をかけてもらいましたが、公式戦や大事な試合、遠征はどうしても日曜日が多くなります。日曜の参加をかたくなに断り続けると、そのうち同学年での練習でもレギュラー組からは外れてゆくのです。その危機感もあったのか、中学一年の二学期の後半になってから一回、とうとう自分で妥協して礼拝出席よりも部活を優先しました。一回だけと思ったことが、すぐに次の一回を呼びました。やがてズルズルと、学校生活も信仰生活も中途半端なものになってゆき、とても乱れた中学時代を送ることになってしまいました。
神さまの大きな恵みと、両親の真剣な祈りのもとにあった私は幸いでした。高校受験を目前にして、涙とともに悔い改めと再出発の機会を与えられましたが、幼い頃から教会学校で一緒に育った多くの友が、また自分がCS教師になってから出会った生徒たちの中にも、この中高生時代の部活における葛藤の中で教会から離れてしまった人が少なくありません。原因の全部が部活動によるものではないでしょうが、それでも同じことのくり返しに歯止めをかけなければ! というパッションが、今スポーツミニストリーにかかわり続ける動機の一つとなっています。
自らの弱い信仰を守るために、一度はサッカーを離れましたが、長い年月の後、今度は主の栄光のために再びそれは私の手に戻されました。この不思議な導きについては、また次回以降お話ししたいと思います。
ぜひ全国のスポーツミニストリーで、相互協力できればと思っています。
情報提供をお願いします! Email : publish@wlpm.or.jp「スポーツミニストリー情報」宛